その愛、買います


...08

 土曜日、すっかり恒例になってきたはるくんとのデート。約束どおり、先日買ってもらったカーディガンを着て行ったら、はるくんはやっぱり喜んで、全力で褒めてくれた。
「めちゃくちゃかわいい。髪型もかわいいし、今日のまひろ、ほんとにめちゃくちゃかわいい」
 まっすぐに目を見つめながら言われて、頬が熱くなる。赤くなっているのが自分でもわかって、私は隠すように自分の頬に手をやりながら
「あ、ありがとう」
「今日、化粧もいつもとちょっと違う?」
「うん、チークをオレンジにしてみたんだけど……」
「それ、かわいい。俺、そっちのほうが好き」
 はるくんは本当に照れがなく、まっすぐに褒めてくれる。だから私も素直に、ありがとう、と言える。
 化粧についてはるくんが褒めたのは初めてだった。いつもはピンクのチークを使っていたけれど、それはあまり好みではなかったのだろう。
 はるくんはわかりやすい。好みのものと好みでないものはすぐにわかる。好みでないものを身につけてきたからといって貶すようなことはもちろんないけれど、好みの格好だったときとは全然反応が違う。好きなテイストもわりとはっきりしているし、一ヶ月も経てば簡単にはるくんの好みに合わせることができるようになった。
 これからはチークはオレンジにしないとな、とはるくんと手をつなぎながら、私はぼんやり考える。つい最近、新しいピンクのチークを買ったばかりだったけれど、きっともう使うことはないだろう。そんなことを考えていたら、ふと加納くんの冷たい目を思い出してしまい、あわてて追い出した。せっかくのはるくんとのデート中に、嫌なことは考えたくない。
「そういえば私ね、クラスのボランティア委員になったの」
 地元にはないおしゃれなコーヒーショップで、舌を噛みそうな名前のカフェラテを飲みながら、私ははるくんに報告しそびれていたことを報告する。へえ、とはるくんは感心したように声を上げて
「さすがまひろ。優しいもんねえ」
 何の他意もなく褒めてくれるはるくんの言葉は、やっぱり私にはちぐはぐに感じる。そんなことないけど、と私は首を振ってから
「だからこれからは、放課後、あんまり遊べなくなるかも……ごめんね」
「あ、そっか。しょうがないよね。残念だけど」
 代わりに土日いっぱいデートしようね、と屈託のない笑顔ではるくんが言って、少し暗くなりかけていた気分もすぐに吹き飛ばされる。「うん!」と私も笑顔で大きく頷くと、「あ、そういえば」とはるくんはおもむろにポケットから携帯を取り出して
「じゃーん。ついに届きましたー」
 こちらに向けられた画面に映っていたのは、ハンガーに掛けられた白と藍色のセーラー服だった。私は一瞬きょとんとしてしまったあとで、はるくんと数日前に交わした約束を思い出す。
「あ、明稜高校の」
「うん。来週の土曜日、まひろ、ちゃんと着てね。似合うだろうなあ」
 はるくんは画面を眺めながら、ふにゃりと表情をゆるませる。その様子は今までにないぐらい浮き立っていて、「ああ楽しみ、待ちきれない」と弾んだ声で呟くはるくんに、「それなら」と私はふと口を開くと
「べつに来週まで待たなくても、今日でもいいんじゃ」
「え、だめだよ。今週はうち、親いるもん」
「それだとだめなの?」
「だめだよ。わかってないなあ、まひろは」
 まるで小さな子どもを相手にしているみたいに言われて、そっか、と私はよくわからないながらも頷いた。もう一度、はるくんの携帯の画面に映るセーラー服に目をやる。都会の女子校らしいおしゃれなデザインは、私も以前からちょっと憧れていた。このかわいい制服が着られるのは、正直うれしい。しかもそれではるくんが喜んでくれるのなら、なにも悩むことなんてない、はずなのに。
 なぜだか少しだけ、胸の奥がざわりと波立つ感触がした。

 お昼ご飯は最近できたばかりのカレー専門店に行くことになっていた。お店の開店時間まではまだ時間があったので、いつものように近くのショッピングモールをぶらぶらしていたら、あっ、とふいにはるくんが声を上げた。
「弘人だ」
 彼の口にした名前に、心臓が一度硬い鼓動を打つ。え、とお店のディスプレイをぼんやり眺めていた視線を前方へ向ければ、十メートルほど先に加納くんを見つけた。ちょうど本屋さんから出てきたところで、彼もすぐにこちらに気がついた。思わず踵を返したくなった私の手は、反対の方向へぐいと引かれる。
「ひーろとー!」
 はるくんは片手を振りながら、早足に加納くんのほうへと歩き出す。もう片方の手は私の手を握っているから、当然ながら私もいっしょに加納くんのもとへ歩くしかなかった。加納くんもこちらへ歩いてくると、「晴也」とはるくんの名前だけ呼んで
「なに、デートですか」
 どこか冷ややかに聞こえたその声にも、「うん!」とはるくんのほうは何も気にしない様子で頷いてみせる。加納くんの視線が、一瞬つながれている私たちの手のほうに落ちて、私は途端に恥ずかしくなる。ほどきたかったけれど、ここで急に手をほどいたりしたらはるくんを傷つけてしまいそうで、結局つないだまま加納くんの前に立った。そんな私にかまわず、はるくんのほうは「いいでしょいいでしょー」なんて言いながらつないだ手を掲げてみせるものだから、私はいよいよ加納くんの顔を見る勇気がなくなって、うつむいた。
「今から昼飯行くとこー。弘人はなにしてんの?」
「ぶらぶらしてただけ。暇だから」
「暇なの? じゃあ弘人もいっしょに来る? カレー」
 当たり前のようにさらっとはるくんが口にした提案に、思わずぎょっとしてはるくんの横顔を見る。それと同じタイミングで、「いや、いい」という加納くんの言葉がすぐに返ってきた。
「デートの邪魔しちゃ悪いだろ。瀬名が嫌な顔してるし」
「え!」
 思いがけなくこちらへ飛んできた言葉に、驚いて今度は加納くんのほうを見る。そう言ったわりに、加納くんは私の顔なんて見ていなかった。その横から、「え?」とはるくんが確かめるように私の顔を覗き込んできて、私はあわてて笑顔を作る。「ま、まさかあ」いそいで口を開くと、ちょっと上擦った声が出た。
「嫌な顔なんて、してないよ。全然」
「だよねえ。まひろが嫌な顔なんてするわけないじゃん」
「まあ、どっちにしろ俺これから用事あるから。ごめん」
 デート楽しんで、と最後に付け加えたときだけ、加納くんの視線が私のほうを向いた。あいかわらずその視線には刺があって、きゅっと心臓が締め付けられる。どうしてだろう。はるくんの手を握る手に力を込めながら、理不尽さを感じて思う。
「なんだー」
 加納くんが去って残念そうに呟くはるくんに、「ごめん」と私は思わず謝っていた。「へ?」ときょとんとした顔ではるくんがこちらを向く。
「なにが?」
「あの、加納くん、私のことあんまり好きじゃないみたいだから」
「え、なんで?」
「わかんないけど、なんとなく、そう感じるっていうか」
 はるくんは不思議そうな顔で私を見た。ふうん、と軽く首を傾げて相槌を打つ。それから
「じゃあ、よかったー。ライバルにならなくて」
 あっけらかんとした口調で、そんなことを続けた。思いも寄らなかった言葉が返ってきて、途端に身体から力が抜ける。「ライバルって」安心したように笑うはるくんの顔はどこまでも呑気で、つられるように、強張っていた私の口元もふっとゆるんだ。
「心配しなくても、それはないよ。絶対」
「わかんないじゃん。まひろ、ボランティア委員になったんでしょ。男子のほうのボランティア委員は弘人のはずだし、もしライバルだったら大変じゃん、俺」
「あり得ないってば。そもそも加納くんって、カノジョいるんでしょ?」
「へ、カノジョ?」
 はるくんから驚いたような声が返ってきたことに、私もちょっと驚きながら
「噂で聞いたよ。たしか、明稜高校の」
 その単語にはるくんはすぐに思い当たったらしく、ああ、と呟いた。
「それ、かすみだ。たぶん」
「かすみ?」
「中学んときのクラスメイト。仲良かったんだよ、弘人と」
 ふうん、と私は呟いた。はるくんとも仲良かったの、と訊こうとして、やめた。中学の頃のはるくんというのを、当然ながら私はまったく知らない。気になるのは気になるけれど、知らないままでいい、と最近は思うようになった。前に加納くんから聞いた、中学の頃のはるくんに付き合っている女の子はいなかった、という事実。それだけ知っていればいい。過去なんて今更知ったところで、なにかできることがあるわけでもない。だから、これからのことだけ考えていればいい。言い聞かせるようにそんなことを思いながら、私ははるくんの手を握る手に、そっと力を込めた。