その愛、買います


...22

 私がいつまでも道ばたで泣き続けていたので、通行人の迷惑になるから、と加納くんに連れられて近くの公園まで移動した。
 ベンチに座っても、私はまだぐずぐず泣き続けていた。加納くんが困ったようにため息をつく。それから、ふっとどこかへ歩いていった。あきれて見捨てられたかと思ったら、すぐに戻ってきた加納くんの手には、ミルクティーのペットボトルがあった。
「やる」
 私があわてて鞄から財布を出そうとすると、加納くんは首を振って私の隣に座った。薄暗い公園にはひとけがない。私たちの他には、犬の散歩をするおじいさんが一人いるだけだ。
「あ、ありがとう」
 私は受け取ったミルクティーを両手で包んだまま、ひとつ息をついた。手のひらに染み入る冷たさが心地良い。なんだか少し落ち着いて、私は目元にたまった涙を拭いながら
「あの、ごめんね」
「なにが」
「なんていうか、私たちのことに、巻き込んじゃって」
 ついさっきの、加納くんとはるくんの姿を思い出す。二人が言い争う姿なんて、これまで一度も見たことはなかった。いつでも本当に仲が良さそうだった。なのに、もしこれで二人の間に亀裂が入ってしまったらどうしよう。私とはるくんの問題で、加納くんはなにも関係なかったのに。そんなことを考えていたたまれない気持ちになっていたら、加納くんはそんな私の考えを見透かしたみたいに
「巻き込まれたとは思ってないけど」
「え?」
「自分の都合で首突っ込んだだけだよ。俺、瀬名が好きだし」
 私は加納くんのほうを見た。加納くんはあいかわらず何を考えているのかわからない横顔で、閑散とした公園を眺めている。「……あ、あの」さっきもはるくんにそう言った加納くんの言葉を思い出しながら、ぎくしゃくと口を開く。
「そ、それ、本当だったの?」
「なに、本当って」
「はるくんと口論になったはずみで、つい言っちゃった、とかじゃなくて、その」
「本当ですけど」
 ちょっとむっとした顔になって加納くんはこちらを向くと
「なに、そんなに信じらんない?」
「だ、だって」
 これまで加納くんに向けられてきた言葉や表情を思い出す。とても好かれているとは思えなかった。最初に話したときから、加納くんはいつもどこか棘があったし、口数も少なかった。笑顔なんて数えるほどしか見たことがない。しかも誰に対してもそういった態度というわけではなく、他の女の子たちにはもっと愛想が良かった。少なくとも私なら、好きな相手にそういった態度は絶対にしない。好きな相手でなくても、しないけれど。そう思って
「加納くん、いつも冷たかったし、なんかイライラしてるみたいだったから。私といるとき」
 告げる声に、つい恨めしげな色がにじんでしまった。ああ、と加納くんが小さく呟く。だけどとくに動揺するでも申し訳なさそうな表情も見せるでもなく
「たしかにイライラはしてた。瀬名見てると」
 まさかの肯定が返ってきて、へ、とまた間抜けな声がこぼれる。ついさっき好きと言われたのは空耳だったかと私が困惑している横で、「最初にしゃべったときはさ」と加納くんが淡々と言葉を続ける。
「すげえいいやつだって思ったんだよ。瀬名のこと。俺がひどい態度とっても怒んないし、笑って普通に接してくれて。すげえ心広いなって、ちょっと感動したぐらい」
 言われて、思い出す。加納くんと最初にしゃべったとき。私も覚えていた。
 放課後、用事があって教室に残っていたら加納くんがやって来たから、声を掛けた。こんなに遅くまで残ってたんだ、とか、なにしてたの、とかそんなクラスメイトとして当たり障りのないことを。
 だけどそれに対する加納くんの返事は、かなり素っ気なかった。べつに、とかそんな一言で、私はあっけなく心がへし折られたのを覚えている。あれ以来、加納くんは私の中で圧倒的に苦手なクラスメイトになった。
 だけどたしかに、態度には出さなかったと思う。まだ新学期が始まって間もない時期で、私はその頃、今度こそクラスメイトに嫌われないようにと必死だった。だからきっと、加納くんの前でもへらりと笑ったのだろう。いつものように。
 だけど、それは。
「……それは、心が広いんじゃないよ。私はただ」
「知ってる。瀬名はただ、誰にでも嫌われないように必死で、いつも誰かの機嫌とるために笑ってるだけなんだって。ずっと見てたら、気づいた」
 私は加納くんのほうを見た。加納くんは軽く目を細めて、自分の手元に視線を落としている。
「だからイライラした。べつに心が広いとかじゃなくて、瀬名はいつも、誰にでもこうなのかって」
 はっきりとした口調で告げられて、私はますます困惑する。イライラされているのは薄々察していたことではあったけれど、好きと言われたあとに、こんなにも貶されるものなのか。
「……あの、それって」
「なに」
「最初はいいやつだと思ったけど、幻滅した、ってこと?」
 加納くんからストレートに告げられたらまた心が折れそうで、先回りして訊いてみると
「それも、あったかも。でも」
 加納くんはちょっと眉を寄せて、言葉を手繰るようにして続けた。
「そのあとも気になってしょうがなくて、気づいたら瀬名のことばっか見てた。晴也と付き合いだしたときはむかついたし、晴也がまだかすみに未練ありまくりだって気づいたときも、もっとむかついた。どうせ晴也は瀬名じゃないといけないわけじゃなくて、瀬名だってたぶん、好きだって言ってくれるやつなら誰でもいいんだろうって思ったら、なんでよりによってこの二人なんだって」
 自分の気持ちを確認するみたいに、加納くんが言う。ちっとも褒められてはいないけれど、それが何の嘘もない言葉だということはわかったから、私は妙に落ち着かない気分になる。持っていたミルクティーを、意味もなく両手で擦り合わせるようにして握りしめていると
「だから、ごめん」
「え?」
 ふいに呟くように言われた言葉に、私は顔を上げた。
「俺が気に食わなくて、だから別れさせたかっただけ。瀬名は今までどおり晴也と付き合ってたほうが幸せだったのかもしれないけど、俺が耐えられなかった。まだあんなにかすみのこと見てるくせに、晴也が瀬名と付き合ってんのが」
 ごめん、ともう一度繰り返した加納くんの声ははじめて聞くほど力がなくて、私は思わず首を横に振った。
「いいの」
 口に出したら、またまぶたの裏が熱くなった。ミルクティーをぎゅっと握りしめる。
「これで、よかった。だって」
 たしかに、幸せだった。はるくんが笑ってくれて、私の手を握ってくれて、私に、かわいいと、好きだと、めいっぱい言ってくれて。私はどうしようもなく、幸せだった。
 だけどそれは私だけ。はるくんは私と同じ気持ちではない。私みたいに、はるくんといっしょにいるだけで喉の奥が甘くなるような、心がふわふわと浮き立つような、そんな気持ちにはなっていない。私では、そんな気持ちには、してあげられない。きっとこれからも。
 そんなの、虚しい。
「幸せなのは、私だけだったんだもん。はるくんは、違ったんだから」
 そう言い切ってしまうと、やっぱりまぶたの裏がじんわり熱くなってきた。
 目を伏せる。息を吐こうとしたら喉の奥でつっかえた。口を開いたら不格好な嗚咽が漏れそうで、あわてて唇を噛む。だけどそれだけでは抑えきれそうになくて、口元を押さえようと右手を挙げかけたら
「泣けば」
 そう言って、加納くんが私の手をつかんだ。声は、優しかった。
「いいじゃんもう、さっきも散々泣いてたんだし。今日は気が済むまで泣けば」
 加納くんの手ははるくんより大きくて、はるくんより少し体温が低くて、だけど途方に暮れてしまうほど暖かくて、もうだめだった。ありがとう、と呟くと、私の手を握る加納くんの手の甲に、涙が落ちた。拭おうとしたけれど、加納くんは手を離さなかった。握る力を少し強める。だから目元を拭うことも声を抑えることもできなくて、私は子どもみたいに、涙も嗚咽もぼろぼろこぼして泣いた。一度あふれた涙は止まらなくて、気づけば私のほうが加納くんの手を強く握りしめて、泣いていた。
 ありがとう、と何度か繰り返しながら。