その愛、買います


...02

 はるくんは私の服を選ぶのが好きだ。
「あ、あの服かわいい」
 弾んだ声を上げて、はるくんがお店のほうへ歩き出す。指さしているのは、お店のマネキンが着ているモスグリーンのジャケット。はるくんの服の趣味はだいたいつかめてきた。シンプルで、ちょっとボーイッシュな落ち着いた格好。スカートよりもパンツスタイル。パンツもゆったりしたものより体にフィットするようなもの。柄物よりも無地。あまり飾り立てない、上品な格好が好きみたいだ。
 はるくんが向かったお店の名前を見て、私は気づく。
「はるくん、このブランド好きだね」
 前にはるくんとこのショッピングモールに来たときも、はるくんはここのお店のディスプレイされている服に目を留めていた。そこではるくんに熱烈に推されて、私は深いブルーのカットソーを購入した。これまであまり着たことのないタイプの服だったからちょっと迷ったのだけれど、「絶対まひろに似合う」と熱く語るはるくんにあっけなく負けてしまった。
「うん、好きだな。まひろは嫌い?」
「ううん、私も好きだよ」
 正直、はるくんに勧められるまでは一着も持っていないブランドだった。
 それまで私はどちらかというと、女の子らしい、可愛らしい格好が好きだった。チェックのワンピースとか、白いフレアスカートとか。手持ちはそういった服ばかりだったから、はるくんが好きだというこのブランドの、シンプルでボーイッシュな雰囲気にはあまり惹かれたことがなかった。
 だけどはるくんに連れられてこのお店を訪れた翌日、はるくんはこのブランドみたいな服が好きなのかなと思った私は、ひとつだけ持っていた、ボーイッシュな雰囲気のジャケットを着てデートに行ってみた。
 すると、はるくんはとても喜んでくれた。これまで私の服に対してあまりコメントをすることはなかった彼だけれど、そのときはたくさんの言葉で褒めちぎってくれた。
 それ以来、はるくんとのデートのときは、このジャケットを着ることが多くなった。何度目だろうと、はるくんは飽きることなく褒めてくれた。かわいい、似合う、俺、こういう格好すげえ好き。はるくんにそう言ってもらうのが、いちばんうれしかった。
「まひろに似合うと思うんだよね、ここの服」
 棚からグレーのシャツが掛かったハンガーを外しながら、はるくんが言う。そうして私にそれを当てると、「ほら、かわいい」と満足げに頷く。私はなんとなく恥ずかしくなって、彼の手からハンガーを受け取りながら
「はるくん、退屈じゃない?」
「なにが?」
「こうやって、私の買い物に付き合うの」
 ずっと不安に思っていたことを訊いてみれば、はるくんは、ぜんぜん、と大きく首を振って
「すげえ楽しい。まひろに似合う服探すのとかさ、自分の服探すより楽しいもん。まひろ、かわいいから」
 嘘の色はまったく見えない口調で言って、本当に楽しそうに、にっこり笑う。
 かわいい。これまであまり縁のなかった言葉を、はるくんはあふれるぐらい言ってくれる。そう言うときのはるくんの声にはとても力がこもっていて、私は幸運だった、とまたあらためて思うのだ。

 私とはるくんが付き合い始めたのは、一ヶ月前。告白してくれたのは、はるくんだった。
 心臓が止まるほどびっくりした告白だった。はるくんはクラスの中心にいるグループの一人で、童顔で、背も平均よりは少し低くて、本人はそれがコンプレックスみたいだったけれど、クラスの女子たちのあいだではかわいいと評判だった。そんな彼が、ほとんど話したこともないような私に、付き合ってほしいと言ってきたのだから。はるくんは人気者だったし、女の子の友達も多かったし、私なんかよりずっとかわいい女の子と付き合えそうだったのに。
 まるで別世界の人間のような彼の告白を、断るなんて畏れ多いことはできるはずがなくて、私は二つ返事で頷いたのだけれど
「はるくんは、私のどこが好きなの」
 付き合いはじめて数日経った頃。うざいかなと思いつつも、不思議で仕方がなかったから、訊いてしまったことがある。
  するとはるくんは、ちょっと困ったような顔をして
「気を悪くしないでほしいんだけど」
「うん」
「ぶっちゃけ、きっかけは顔」
 返ってきたのは、単純明快な答えだった。もしかしたら、一般的な女子は傷つく回答だったのかもしれない。けれど、私はうれしいと思った。納得もできた。これまでろくに話したこともなかったのに、性格だとか言われるよりはよほど誠実にも聞こえた。
 私の顔のどこがはるくんの琴線に触れたのかはわからない。これまで顔を褒められることなんてめったになかった。目が大きいわけでも、鼻が高いわけでもない。アイドルみたいな華やかさとはほど遠い、地味な顔であることは自負していた。それでも世の中には、華やかな顔よりこういった薄い顔のほうが落ち着く、というような変わった趣味の人もいるのだろう。たまたま、はるくんはそういった趣味の人で、私は彼の好みどんぴしゃの顔だったのだろう。私は幸運だったのだ。
「あ、でも顔だけじゃなくて。いっしょにいるうちに気づいたんだけど、まひろ、すごい優しいじゃん。人の悪口とか絶対言わないし、誰に対しても分け隔てないっていうか。そういうところも、好きだよ」
 先ほどの答えがまずいと思ったのか、はるくんはあわてたように付け加えてくれたけれど、私は笑って首を振った。
「ありがとう。そう言ってもらえて、うれしい」
 はるくんが好いてくれたのが私の外見ならば、それに磨きをかけたい。服装だって、自分の趣味よりはるくんの趣味に合わせることに、なにも抵抗なんてなかった。はるくんに喜んでもらいたい。もっと私のことを好きになってほしい。私のことを、こんなに一生懸命に褒めてくれる人なんて、はるくんしかいないのだから。

「あ、これは? まひろ、すげえ似合いそう」
 はるくんは相変わらず楽しそうに、私の服を選んでくれている。手にとって、私に合わせてみて、「うん、似合う」だとか「やっぱりこっちの色のほうがいいかな」だとか、真剣に考えてくれている。そんな彼にほっこりした気持ちになりながら、私ははるくんが持ってきたカーディガンの裏に手を入れた。値札を見つけて裏返す。やっぱり、ちょっと高い。はるくんが好きなこのブランドは、たしかにおしゃれなのだけれど、高校生の財力には少し厳しい値段設定なのだ。もう少しバイトを増やそうか、でもはるくんと遊ぶ時間が減るのは嫌だな、なんてことを考えていたら、けわしい顔になっていたのだろう。
「高いの?」
 と私の手にしている値札を、横から覗き込んできたはるくんは
「俺がプレゼントしてあげよっか」
 ふと思いついたように、柔らかな声でそんなことを言った。
 えっ、と私は驚いて顔を上げる。そうしてあわてて首を横に振ると
「そんな、だめだよ! 高いし」
「いいよ。俺がまひろにその服着てほしいんだもん。実は昨日バイト代入って、俺今お金持ちなの」
 ね、プレゼントさせて。そう言ってはるくんは私の手からカーディガンを取ると、止める間もなくレジへ向かってしまった。

「本当にありがとう」
 はるくんから渡されたブランドのロゴが入った紙袋を手にしたまま、頭を下げる。するとはるくんは笑って私の頭を何度か撫でながら
「どういたしまして。次のデートで着てきてね」
「うん!」
 力いっぱい頷いて顔を上げると、はるくんはまだ私の髪に触れていた。毛先を軽くつまんだまま、じっと見つめている彼に、なんだか頬が熱くなる。「はるくん?」と私は困惑して呼ぶと
「どうかしたの?」
「いや、まひろって髪長いよね」
 今発見したみたいな言葉に、きょとんとする。うん、と頷いて私も自分の髪に触れると
「そういえば昔からずっと長いかも。あんまり短くしたことない」
「短くしないの? まひろ、似合いそうなのにな。ボブとか」
 さらっとした口調で言ってから、「行こ」とはるくんは私の手を取った。そうして、お昼はどうしよっか、と話題を変えてしまったけれど、私は彼の言葉が耳に残っていた。そういえば、二人で雑誌を見ているとき、はるくんがある女優さんを指さして、「この人好き」と言っていたことがある。彼女もショートボブだったことを思い出しながら
「はるくんって」
「ん?」
「髪、長い子と短い子、どっちが好き?」
「短い子」
 答えは、一秒も迷う間もなく返ってきた。その選択はあまりにはっきりとしていて、きっと圧倒的にそうなのだろう。今し方、私の髪が長いということを口にしていたばかりだったから、軽くショックを受けていたら、はるくんも気づいたらしく
「あ、でもまひろの髪型がいちばん好きだよ。あくまでその二択ならって話ね。髪が短いまひろもちょっと見てみたいけど」
 あわてたように続いた言葉に、私は笑って、ありがとう、と返した。
 ここ最近で、私のクローゼットの中身はだいぶ様変わりしてきた。ワンピースやフレアスカートの代わりに、ショートパンツやスキニーが増えた。たしかに、こういった服装には短い髪のほうが合うとは前から思っていたのだ。
 鎖骨の下まで伸びた、毛先をくるんと巻いた髪に触れる。最近、ようやくコテアイロンを使って髪を上手に巻けるようになってきたところだったけれど、思えば、はるくんから巻き髪についてなにかコメントをもらったことはなかった。きっと、あまり好きではなかったのだろう。考えてみると、はるくんが好きだという女優さんは、決まってすっきりとした短い髪型をしていた。気づいたら、もう悩む間はなかった。べつにたいしたこだわりがあるわけではない。ただなんとなく、私みたいな地味な顔には、長い髪のほうが無難な気がして伸ばしていただけだ。
 明日、美容室あいてるかな、あいてるといいな、と私はさっそく思いを巡らせはじめていた。