その愛、買います


...19

 はるくんの補習がある日の放課後に、かすみちゃんと待ち合わせをした。はるくんには、他校の友達に会いに行くとだけ伝えてあった。
「まひろちゃん、今日なんか雰囲気違うね」
 アイスティーにガムシロップを入れながら、かすみちゃんは正面に座る私を見て言った。そうかな、と私が返すと、うん、とかすみちゃんは力を込めて相槌を打って
「なんていうか、女の子らしい。チークもピンクだし。かわいい」
 そう言うかすみちゃんの頬にのっているのは、今日もオレンジだった。明るい彼女の笑顔に、やっぱりよく映えている。
「髪も、そんなふうにピンで留めるとかわいいね。短くてもそういうアレンジ出来るんだ」
 あたしも真似しちゃおうかな、と笑ってかすみちゃんが自分の髪に触れていたとき、店員さんが私たちのテーブルにやって来た。かすみちゃんの注文したフレンチバニラと、私の注文したショートケーキが淡い黄色のテーブルクロスの上に置かれると、わあ、とかすみちゃんは顔を輝かせる。そうして携帯を取り出し写真を一枚撮ってから
「前にね、こういうふわふわのフレンチトーストが作りたくて調べたの。そしたら、焼く前に一晩ひたしておくといいんだって」
「一晩も?」
「うん。やっぱり、おいしいものを作るには手間がかかるんだねえ」
 ではいただきます、と手を合わせてから、かすみちゃんはスプーンを手に取った。フレンチトーストの上にたっぷり載せられているバニラアイスをすくって、おいしそうに口に運ぶ。ふにゃりとほころぶ表情は、本当に幸せそうだった。私もフォークを手に取って、生クリームの載ったスポンジに沈めながら
「この前ね、私もショートケーキ作ったんだ」
「えっ、そうなの? うまくできた?」
 私は鞄から携帯を取り出すと、切り分ける前に撮っておいたショートケーキの写真をかすみちゃんに見せた。おお、とかすみちゃんは声を上げて私の手から携帯を受け取ると
「すごい! きれいだね。まひろちゃん、上手だよ」
「でも、スポンジが思ったようにふくらまなくて。いまいちだったの」
「そう? 充分おいしそうだけどなあ」
 言いながら、かすみちゃんは携帯を私に返すと
「晴也にもあげたの?」
 そう訊かれて、私は手元に視線を落とした。ううん、と首を横に振る。
「あげなかった。ぜんぶ自分で食べちゃって」
「そうなんだ。今度作ったときは晴也にもあげなよ。ぜったい喜ぶよ」
 そうだね、と相槌を打って、私はショートケーキを口に運んだ。ミルクの風味が濃く、口の中に広がる。おいしいけれど、少しくどくも感じる甘さだった。
「ねえ、かすみちゃんは」
「ん?」
「ショートケーキ作ったとき、いつもどれぐらいはるくんにあげてたの?」
 うーん、とかすみちゃんは少し考えてから
「だいたい四分の一ぐらいだったかな。誕生日にはホールであげたりもしてたけど」
「はるくん、ぜんぶ食べてくれたの?」
「うん。晴也、本当に甘いもの好きみたいで、感心するぐらい食べてたよ。だからまひろちゃんも、お菓子、じゃんじゃん作って晴也にあげちゃうといいよ。いっぱい食べてくれると思うから」
 芯からまっさらな笑顔でそんなことを言うかすみちゃんは、本当になにも気づいていないのだろう。はるくんにショートケーキを差し出すかすみちゃんも、きっとこんなふうに無邪気に笑っていた。だからきっと、はるくんも食べるしかなかった。かすみちゃんが気づかないよう、できるだけおいしそうに、少しも残さないように。かすみちゃんが、笑ってくれるように。
「……かすみちゃんって」
「うん?」
「はるくんのこと、どう思ってたの」
 かすみちゃんはきょとんとした目で私を見て、何度かまばたきをした。「え、どうって」不思議そうに首を傾げ、ちょっと考えてから
「いい友達だったよ。話しやすくて、よく相談にのってもらったり」
「かすみちゃんが、片思いしてた人のこととか?」
「うん。まあ、それについて相談したら、毎回同じこと言われるだけだったけどね。七歳も年上の人に相手になんかされるわけないって。そもそも彼女もちだし、不毛だって」
 意外ときついんだよあいつ、とかすみちゃんはおかしそうに笑ってから
「でもまあ、今はあのとき晴也が言ってたことが正しかったって、痛感してるんだけど」
 ふいに放り出すように言われた言葉に、私はかすみちゃんを見た。目が合うと、かすみちゃんはちょっと恥ずかしそうに笑って目を伏せる。そうして握っていたスプーンを置くと、おもむろに傍らの鞄を開け、中からなにかを取りだした。
「見て、これ」
 差し出されたのは、二つ折りにされたきらびやかなカードだった。表紙には、大きな花のイラストと、ウェディングの英文字。
「もらっちゃった、先週」
「……結婚式の、招待状?」
「うん。結婚するんだって。あたしの好きな人」
 私は顔を上げてかすみちゃんを見た。びっくりだよね、とかすみちゃんは乾いた笑い声を立てて
「まだ二十三なんだよ? その人。そんな大学卒業してすぐ結婚なんて思わないもん。もう少し猶予あるかと思ってたから。まいっちゃった」
 どんな反応をすればいいのか、咄嗟にわからなかった。思わず黙ったままかすみちゃんを見つめていると、気づいたかすみちゃんが「あっ、ごめん」とあわてて重たい空気を散らすように笑って
「困るよね、こんな話されても。やめよう、やめよう」
「はるくんは」
「え?」
「はるくんは、知ってるの? このこと」
 かすみちゃんはきょとんとした顔で、ううん、と首を振った。
「知らないよ。最近全然話してないし」
 気づけば、テーブルの上に置いた右手をぐっと握りしめていた。ついさっき聞いた、かすみちゃんの言葉を思い出す。意外ときついんだよ、とかすみちゃんが語るはるくん。私にはうまく想像ができない。私は、優しく笑うはるくんしか知らない。見たことがない。これから先もきっと、私はそんなはるくんしか見ることができない。
「……話したいんじゃ、ない?」
 かすみちゃんがふっと真顔になって私の顔を見つめた。その人のこと、と私は続ける。
「かすみちゃん、ずっとはるくんに相談してたんでしょう」
 でも、とかすみちゃんは戸惑ったように
「今はまひろちゃんがいるんだし。あんまり甘えるのは」
「いいよ。はるくんだって話したいと思う。私は全然、気にしないから」
 私と付き合いはじめてからは、はるくんはかすみちゃんと全然会っていないと言っていた。私とはるくんが付き合いはじめたのは高校にあがってすぐだから、中学校を卒業して以降、二人が会うことはほとんどなかったのではないだろうか。
「はるくんも、かすみちゃんに会いたいと思う」
 力を込めて重ねると、かすみちゃんはようやくちょっと表情を崩した。考え込むような間のあとで、「……いいの?」とうれしさを滲ませた声で尋ねる。うん、と私は勢い込んで大きく頷くと
「はるくんも喜ぶよ、きっと」
 その言葉を口にした瞬間、ちりっと胸の奥が痛んだ。目を伏せるとまぶたの裏が熱くて、ごまかすようにケーキを食べる。口の中に広がる甘さはやっぱり少しくどくて、飲み込みにくい。
「ありがとう、まひろちゃん」
 やわらかな声が聞こえて、私は首を振った。そのひだまりみたいな声も笑顔も、どんなに髪型や服装を寄せても、これだけはちっとも真似できない。
「……かすみちゃんって、はるくんと似てるよね」
「え、そう? 顔が?」
「ううん、しゃべり方とか笑い方とか、全体的な雰囲気とか」
「ほんとに? はじめて言われた」
 たしかに晴也ちょっと女の子っぽいもんねえ、とおかしそうに笑うかすみちゃんを見ながら、違う、と私はついさっき口にした自分の言葉に心の中で首を振る。かすみちゃんが、じゃなくて、はるくんが、かすみちゃんに似ているのだ、きっと。