その愛、買います


...01

「これ、かわいい」
 はるくんが無邪気な声を上げて、棚からひとつポーチを取った。
「どれ?」と彼の手元を覗き込んだ私は、思わず笑ってしまった。はるくんが手にしていたのは、うさぎのキャラクターの顔型ポーチ。女子高生というより、どちらかというと女子小学生のあいだで人気のキャラクターだ。
「はるくん、そのキャラクター好きなの?」
 尋ねる声にも、笑いが混じってしまう。だけどはるくんは、うん、と照れる様子もなく頷いて
「かわいくない? これ」
 あっけらかんとした笑顔でポーチを掲げてみせた。あいかわらずまぶしい笑顔だ。おおよそ男子高校生には似つかないはずのそのポーチも、彼が手にしていると違和感を感じないのがすごい。
「かわいいけど」
 私は頷きながらポーチを受け取る。ちょっと子どもっぽくないかなあ、と続けようとしたのだけれど
「まひろは嫌い?」
「え」
「このうさぎ」
 はるくんになんだか寂しそうな声で尋ねられたものだから、私はぶんぶんと首を横に振っていた。
「ううん、好き」
「でしょ。まひろ、これにしなよ」
「うん、そうする」
 頷くと、はるくんはうれしそうに笑った。ずるい笑顔だとつくづく思う。
 会計を済ませてはるくんのもとに戻ると、はるくんはまだポーチの棚の前にいた。今度は、同じうさぎのキャラクターものの別のポーチを手に取っている。女子高生が集まるお店の、女子高生が好むような商品ばかりが並べられた棚の前にいても、まったく居心地が悪そうな様子はない。違和感もなく溶け込めている。
 彼があんまり熱心に眺めているので
「はるくんも買ったら? そのポーチ。おそろいにしちゃう?」
 からかうように言ってみたら、はるくんには、いや、と思いのほかあっさり首を振られた。
「ポーチなんて持ってても使わないから、俺」
「たしかにそっか」
 すぐに納得して頷くと、はるくんはにっこり笑って
「まひろが使ってるの見てれば満足」
 そう言って、手にしていたポーチを棚に戻した。代わりに、「行こう」と当たり前のように私の手を握られて、胸が鳴る。慣れた様子の彼と違って、私はまだどきどきしてしまう。耳が熱くなるのを感じながら、おずおずとはるくんの手を握り返せば、はるくんはまた、まぶしい笑顔を見せた。

 買い物を終えて店を出たあとは、いきつけのカフェに入った。
 淡いピンク色の壁紙だとかテーブルクロスだとかがとてもかわいくて、以前から私の大好きなお店だったのだけれど、まさかここに彼氏といっしょに来ることができるなんて思っていなかった。店内の装飾もメニューも思いっきり女性向けに偏っているし、店内を見渡しても客は九割方女性だ。男性がいるとしたら、私たちみたいにカップルで来ている彼氏のほうだけで、その数少ない男性客は皆、なんだか居心地が悪そうに見えた。目の前にいる、私の彼氏を除いて。
「わ、すごい」
 運ばれてきたアイスココアを見て、はるくんがちょっと驚いた声を上げる。ココアの上にたっぷりのホイップクリームが浮かんでいたからだろう。
「おいしそうだね」
 私が言うと、はるくんはおもむろにココアを私のほうへ差し出して
「まひろ、ちょっと食べてよ」
「クリームを?」
「うん。俺、生クリームだけはだめなんだよね、昔から」
 そうなんだ、と相槌を打ってスプーンを手に取りながら、覚えておかなくちゃ、と思う。はるくんは生クリームが苦手。今後、ケーキをプレゼントするようなことがあったら、気をつけないと。
 やがて私の注文したハニーミルクラテも運ばれてくると、「そっちのほうがおいしそうだね」なんて、はるくんがキラキラした目を向けてくるので、けっきょく彼のココアと交換した。
「ありがとう、まひろ」
 うれしそうに笑うはるくんは、まったく感心するほどこの淡いピンク色の空間に溶け込んでいる。絶対に女友達としか来られないだろうと思っていたこのカフェにも、彼はあっさり馴染んでみせた。きっと、彼のもつ優しくてふんわりとした雰囲気のおかげだろう。ちょっと癖のある柔らかい茶色の髪が、なんだかハニーミルクラテみたいに見えた。
「今日は付き合わせちゃってごめんね」
「いいよ。俺がまひろといっしょにいたいだけだから」
 はるくんはいつもそう言って、私の買い物に付き合ってくれる。服を買うときも、靴を買うときも。以前は一人だったのに、最近はもっぱらはるくんといっしょだ。今日だって、新しいポーチを買いに行きたいのだと言ったら、はるくんは当たり前みたいに、いっしょに行こうと言ってくれた。
 彼女の買い物に付き合うなんて、きっと男の子は嫌いだと思っていたけれど、はるくんはいつも楽しそうにしてくれる。「これかわいくない?」だとか「これが似合うよ」だとか、しきりに意見を言ってくれるし、お客さんは女の子しかいないようなキラキラしたお店でも、物怖じせずに入ってくれる。買い物なんて、一人で行くのがいちばんいいと思っていたけれど、はるくんとなら、彼氏と行く買い物も楽しかった。
「今度の休みは何する?」
「何しよっか。はるくん、どこか行きたいところある?」
「そういえばさ、俺、まひろの地元ってまだ行ったことないよね。行ってみたいな」
 え、と聞き返しながらココアに落としていた視線を上げる。はるくんはあいかわらずハニーミルクラテみたいな柔らかい笑顔でこちらを見ていた。私はちょっと考えてから
「でも、何にもないところだから。こっちよりずっと田舎だし」
「田舎いいじゃん。俺、好きだよ。山とか川とか」
「だけど、買い物するところもご飯食べるところもないし……あ、そういえば私ね、春物のカーディガンが欲しいと思ってたの。今度の休みに買いに行ってもいい?」
 訊くと、はるくんはにっこり笑って、もちろん、と言った。

 カフェを出ると、陽はすっかり落ちて道には外灯が点いていた。
「駅まで送るよ」
 はるくんはいつものようにそう言って、私の手を握った。何度目でも、私の心臓は大きく跳ねる。笑顔や口調だけでなく、はるくんは手のひらも柔らかくて暖かい。
「暗くなっちゃったな」
 はるくんが空を見上げて呟く。それから心配そうに私を見て
「一人で大丈夫? 家まで送ってもいいのに」
「大丈夫だよ。私の家、遠いし。駅までで充分。ありがとう」
 何度目かのやり取りを繰り返す。はるくんは優しい。私が今まで出会った中で、もっとも優しい人ではないかと思う。誰にでも分け隔て無いやわらかな笑顔には、はじめて会ったときから惹かれていた。そんな彼の恋人の座に落ち着けているなんて、私はなんて幸せなのだろう。
「まひろ、なんで電車通学なのさ。徒歩なら、もっと長くいっしょにいられるのに」
 恨めしげに向けられた言葉に、だけど喉の奥からは甘いものがこみ上げる。
「ごめんね」
「いつかはぜったい、家まで送るからね、俺」
 うん、と笑って頷いたとき、私たちの横を自転車に乗った女子高校生が二人通り過ぎていった。明るい笑い声が耳を掠める。伝統校らしい白と藍色のセーラー服が暗闇に混じるように遠ざかっていくのを少しだけ眺めてから、またはるくんのほうに視線を戻したのだけれど
「……はるくん?」
 声を掛けるまで、はるくんの視線は前方を向いたままだった。少し間があって、うん、と聞き返しながら彼はようやく私のほうを見る。私はちょっと眉を寄せると
「はるくん今、女の子たち見てた?」
「え?」
「さっき通り過ぎた明稜高校の子たちのこと、見てなかった?」
 嫉妬深いとかうざいとかは思われたくない。軽いやきもちぐらいの尋ね方をしたかったのだけれど、やっぱり不安げな色は滲んでしまったかもしれない。もしかして知り合いだったのだろうか。昔、好きだった子とか? いっきにそこまで考えが巡って、胸がざわりと波立つ。だけど私の顔を見たはるくんは、いつもと同じ柔らかな口調で
「見てたけど」
 これ以上なくあっさりと、頷いてみせた。予想外の返答に、思わず言葉に詰まっていたら
「かわいくない? 明稜の制服」
「……制服」
「俺、好きなんだよね。あのセーラー」
 何の深刻さも混じらない口調で、あっけらかんと続ける。彼の笑顔もどこまでもあっけらかんとしていて、思わず力が抜けた。たしかに、私たちの高校の制服はいたってベーシックな茶色のブレザーで、クラスの男子たちが明稜高校のセーラー服はいい、と熱く語り合っているのを聞いたことはある。はるくんも、そんな彼らの一人だったらしい。
「かわいい、けど」
 はるくんが褒めたのはあくまで制服。だけどそれは、あの制服を着た女の子、つまりは明稜高校の女子生徒に憧れがあるのはたしかで、もしかしたらはるくんは、明稜高生の彼女が欲しいと思っているのではないか。そんなことを考えていたら、けわしい表情になっていたのだろう。「まひろ」とはるくんはすぐに明るい声を続けた。
「まひろ、似合いそうだよね」
「え?」
「明稜の制服。絶対さ、まひろはうちのブレザーより、ああいうかわいいセーラー服が似合うと思う。まひろ、かわいいし」
 力を込めて語るはるくんに、胸に落ちていた重たさがあっさり押し流される。代わりに頬が熱くなってきて、「そう、かな」ともごもご呟く私に
「うん。今度着てみてよ、まひろ」
 いいことを思いついた、というように楽しそうな声ではるくんが重ねた。「へ?」と聞き返しながらはるくんのほうを見ると、はるくんもこちらを見ていて目が合った。子どもみたいに輝く目に見つめられて、思わずたじろぐ。「明稜の制服」とはるくんは弾んだ声で続けた。
「友達が言ってたんだけど、中古の制服とかさ、けっこうネットオークションに出品されてるんだって。値は張るっぽいけど。俺、今度探してみていい?」
 はるくんはすっかり乗り気らしい。そんなきらきらした目をされると断るなんてできるはずもなくて、戸惑い気味に頷くと、「やった」とはるくんは無邪気な声を上げた。喜ぶ彼の姿はとてもかわいい。しかもそんなふうに喜んでくれるのは、私のことでだ。私が彼好みの服を着てきたときとか、彼好みの髪型をしてきたときとか。かわいいかわいいと全力で褒めちぎってくれる。だからいつも、まあいいか、と思う。私が何かをして、はるくんが喜んでくれるなら。私に、はるくんを喜ばせることができるのなら。私はなんでも、してあげたいと思う。