フェルト生地でできた小さな赤いお守りを差し出すと、亮ちゃんはきょとんとした表情で目を瞬かせた。「なにそれ」と呑気にグラスの中の氷をストローでかき混ぜながら訊いてくる彼に
「亮ちゃんてば、さっちゃんが言ってたこと、もう忘れちゃったの?」
 あきれて聞き返せば、すぐに亮ちゃんははっとしたように目を見開いた。「え、なにまさか」あわてて手を伸ばし、私の手からお守りを受け取る。
「このまえ言ってた縁結びのお守り? 雛子、わざわざ買ってきてくれたのか?」
「そう。カップルで同じ色のお守りを持っておくとより強い絆を結べるっていう、あれ。さっちゃん、欲しいって言ってたでしょ」
 言うと、亮ちゃんはしばし間の抜けた顔で私をまじまじと見つめてから
「雛子お前、マジでいいやつだな」
 噛みしめるようにそんなことを呟いて、手元のお守りに目を落とした。口元が、なんとも嬉しそうにふにゃりと緩む。
「ありがとう雛子。マジでありがとう」
「どういたしましてー」
 大袈裟なほど力を込めて言ってくる亮ちゃんに短く首を振ってから、テーブルに座る彼の向かい側に私も座る。そして買ってきたミルクティーにストローを差しながら
「本当は亮ちゃんが直接買ってさっちゃんに渡したほうがいいんだろうなとは思ったんだけど、亮ちゃん、こういうの照れちゃって買いに行けないだろうなと思って」
「さすが雛子。よくわかってるなあ」
 感心したように呟いてから、亮ちゃんはふたたびそのお守りをまじまじと眺め始める。口元は相変わらず緩みっぱなしで、なんだか小さな子どもみたいだった。その幼い喜び方に、私もなんとなく胸が暖かくなるのを感じながら
「もうひとつのお守りは、私がちゃーんとさっちゃんに渡しておいたからね」
 そう告げると、え、と亮ちゃんはふいに我に返ったように顔を上げた。
「なに、もう渡したの? 雛子が?」
「うん。ダメだったかな?」
 聞き返せば、「ああ、いや」とあわてたように亮ちゃんは首を振り
「ただまあ、ちょっとだけ、せっかくなら俺が渡したかったなーなんて……」
「あっ、そうか。ごめんね亮ちゃん、私、そこまで気が回らなくて」
 うなだれて謝ると、亮ちゃんはさらにあわてたように「ああ、いやいや!」と声を上げた。
「全然いいって。買ってきてくれたのは雛子だし、雛子が渡すのが正しいよ。それに俺、たぶん渡すだけでも照れて照れて大変そうだし。ありがと、雛子」
 明るい口調で言ってから、彼はふと照れたように指先で頬を掻き
「喜んでた? あいつ」
 ちょっと声を落としてそう訊いてきた。うん、と私はにっこり笑って頷く。
「すっごく喜んでたよ。絶対汚したりしないように、しっかり机の抽斗にしまっておくって」
「あ、そっか。そういやこのお守りって、持ち歩くんじゃなくて大事にしまっとかないといけないんだよな」
「そうだよ。汚したら効果なくなっちゃうらしいから。亮ちゃんもしっかり机の抽斗かどこかにしまっておいてね」
 おう、と答えてから、亮ちゃんは手にしていたお守りを何気なく顔の正面に持って行く。そしてそれを自分の顔の前でゆらゆら揺らしながら
「でもなんかもったいないよな。せっかく可愛いのに、このお守り」
 心底残念そうにそんなことを言うので、私は思わず噴き出してしまった。
「え、なに?」きょとんとした顔で尋ねてくる亮ちゃんに
「いや、だって。亮ちゃんがなんだか女の子みたいなこと言うから」
「そうか? 可愛いじゃん、これ。きれいな赤色だし」
「そりゃたしかに可愛いけど。男子高校生らしからぬ台詞なんだもん、それ。だいたいさ、前から思ってたけど、亮ちゃんって感性が女の子っぽいよね、ちょっと」
 言うと、亮ちゃんは言われて初めて気づいたように、「たしかに」と相槌を打ってから
「そういや俺、昔から青より赤のほうが好きだったしな」
「うん。亮ちゃん、小さい頃いっつも赤い服着てたよね」
「あー、そういやそうだったかも。でもそれは雛子もじゃなかったか? なんかお前もいっつも赤い服着てた覚えがあるけど、俺」
「だって私も赤色好きだったもん。おかげでよくペアルックになっちゃってたよね、私と亮ちゃん」
「あー、なってたなってた」
 遠い記憶に思いを馳せ二人でしばらく思い出し笑いをしていると、ふいに亮ちゃんは、あ、と声を上げ
「そういやこのお守り、いくらだった? お金払うよ」
 そう言って財布を取り出そうとしたので、「ううん、いいよ」と私はすぐに首を振ってそれを制した。
「あげる。亮ちゃん、もうすぐ誕生日でしょ。だから誕生日プレゼント」
「え、いいのか?」
「うん。そんなに高くもなかったし、気にしないで」
 言うと、亮ちゃんは柔らかく笑って、ありがとう、と言った。それから大事そうにそのお守りを自分の鞄にしまった。私はそれを見届けながらミルクティーを一口飲むと
「そういえば誕生日のことだけど」
 唐突に切り出せば、亮ちゃんは、うん、と聞き返しながら顔を上げた。
「ママがね、ビーフシチューとミネストローネならどっちがいいか、亮ちゃんに訊いておいてって。どっちがいい? 亮ちゃん」
 尋ねると、亮ちゃんはなぜか少し困ったような表情になった。それからちょっと迷うような間を置いて
「……なあ、本当にいいのか?」
 とどこか遠慮がちに訊いてきた。なにを訊かれたのかよくわからず、「なにが?」と私が首を傾げれば
「マジで雛子んちでごちそうになっちゃっていいのか? いくらうちの両親が仕事でいないからってさ、さすがにそんな豪華なもん用意してもらうのは」
「やだな。今までだってずっと亮ちゃんの誕生日は、私の家でお祝いしてたでしょ。代わりに私の誕生日は亮ちゃんの家でお祝いしてもらってたし、今更遠慮することないよ」
「や、でもさ……」
「なに、カノジョができたからって急に他人行儀になるのはやめてよ、寂しいなー」
 そう言って冗談っぽく傷ついた表情を作れば、途端に亮ちゃんは顔を赤くした。「い、いや、そういうわけじゃなくて」としどろもどろに言葉を返す彼に
「それとも、やっぱりさっちゃんが気にしてる?」
「え」
「誕生日に、彼氏が自分じゃなくて幼馴染みの女と一緒に過ごすのは、さすがにさっちゃんでも嫌がるかな。私、もしかしてさっちゃんに疎まれてるんじゃないかって、最近ちょっと心配になってきたんだ。いくら幼馴染みだからって、私、けっこう図々しいことしてる気がするし……」
「まさか。そんなわけないだろ」
 私の言葉が終わらないうちに、亮ちゃんは勢い込んだ調子で返した。ちょっと怒っているようにも聞こえる声だった。思わず口をつぐむと、亮ちゃんはひどく真剣な顔で
「早苗は何にも気にしてないよ。気にするわけないじゃん。いつも雛子にはすげえ世話になってんのに。すっげえ感謝してるって言ってるよ、あいつ。雛子が友達でよかったって」
「そっか」
 相槌を打てば、亮ちゃんはふいに表情を和らげた。「それに」とちょっと照れた調子になって早口に言葉を継ぐ。
「誕生日のことは、あとでちゃんと埋め合わせする予定だから」
「埋め合わせ?」
「うん。その次の日曜に、映画にでも誘おうかと」
 ぼそぼそと言って、亮ちゃんはもうほとんど氷の溶けかけたアイスコーヒーに口をつけた。ふうん、と相槌を打ってから、私もミルクティーを一口啜ると
「でもやっぱり、誕生日に一緒に過ごしたかっただろうね、さっちゃん」
 まあ、と亮ちゃんは曖昧に頷いてから
「でも仕方ないじゃん。あいつ、その日が俺の誕生日だって知るより前に、もう予定入れちゃってたらしいし」
「私がもうちょっと早くに、亮ちゃんの誕生日がいつか教えてあげればよかったんだけど。うっかりしてたな」
 呟けば、「雛子は悪くないって」と亮ちゃんは苦笑しながら首を振る。それから
「その分さ、早苗の誕生日を盛大に祝ってやればいいわけだし」
 気を取り直すように明るく言って、もう一度アイスコーヒーに口をつけた。そしてふと息を吐き
「あー、でもほんと、雛子が早苗と友達でよかったな」
 と無邪気に呟いていたので、私も笑って、うん、と大きく頷いておいた。


 六月の空気はさほど気温が高くない代わりに湿度が高くて、肌がべたべたする。私は家に着くと真っ先にシャワーを浴びて、軽く汗をかいた体を流した。
 ほてった体に窓から吹き込んでくる風が心地良くて、窓の傍に座り込む。それからさっちゃんに電話をかけた。
「――ねえさっちゃん、来週の日曜日なんだけど」
 しばらく世間話をしたあとで本題を切り出せば、電話の向こうからは、うん、と聞き返す調子の相槌が返ってきた。
「もしなにも予定がないなら、一緒に映画に行かない?」
「映画?」
「うん。この間さっちゃんが観たいって言ってたやつ。来週の日曜から公開だったよね」
 言うと、さっちゃんはうれしそうに、うん、と頷いた。
「行こう行こう。べつになにも予定はなかったし、大丈夫だよ」
「そっか、よかった。じゃあ約束ね」
 うん、と軽い調子の相槌が聞こえてから、ふいに電話口の声が遠くなる。おそらく手帳に予定を書き込んでいるのだろう。彼女が作業を終えるのを待ってから、私はもう一度「ねえさっちゃん」と呼びかけると
「うん?」
「絶対絶対、約束だよ。来週の日曜日」
 力を込めて言えば、「え、なに急に」とさっちゃんは電話の向こうでおかしそうな笑い声を立てた。
「あたし、そんなに信用ない?」
「だってさっちゃんには亮ちゃんがいるんだもん。もし亮ちゃんからデートに誘われたりしたら、私との約束なんて忘れちゃうんじゃないかって」
「やだなあ、忘れないよ」
 さっちゃんは相変わらず軽い調子で笑って
「絶対ドタキャンとかもしないから。安心してよ。雛子はあたしの親友だもん」
 明るい声で言われた言葉に、私も、うん、と頷いてから
「今週の日曜日のことは、本当にごめんね」
「ああ、亮平の誕生日のこと? もういいってば。あたし、どうせ予定入れちゃってたし、その日」
「私がもっと早くに教えてればよかったんだけど」
「いいっていいって。それに亮平だって、雛子の家族に盛大にお祝いしてもらうほうが嬉しいんじゃないのかな。小さい頃からずっとそうしてきたんでしょ、雛子たち」
「うん」
「だから気にしないでよ。付き合ってるからって、あたしに雛子たちの付き合いまで制限する権利はないんだし。あたしの代わりに、亮平のこと目一杯お祝いしてあげてね、雛子」
 さばさばした口調で言われ、私は、うん、と強く相槌を打った。それからまた少し世間話を続けたあとで
「あ、そうだ雛子。お守り、ほんとありがとね」
 ふと思い出したようにさっちゃんが言った。いいよ、と私が返せば
「すごく可愛い、これ。色もすてきだし、鞄につけて持ち歩けないのが残念だな」
「気に入ってもらえてよかった。他にもたくさん色違いがあったんだけどね、さっちゃんにはこの色がいちばん似合うと思って」
「うん、あたし、青色がいちばん好き」
 うれしそうに返された言葉に、私は、そっか、と笑ってから
「亮ちゃんもなんだよ」
「え」
「亮ちゃんもね、青色がいちばん好きなの。小さい頃なんて、いっつも青い服着てたくらいで」
 そうなんだ、とさっちゃんは柔らかい声で相槌を打った。亮ちゃんの新たな一面を知れたことを喜んでいるようなその声に、私はまたちょっと笑った。
 それから少し彼女と会話を続けたあとで通話を切ると、手にしていた赤い携帯電話を机に置いた。代わりに、抽斗から小さなフェルト生地を取り出す。そしてそれを手に一階へ下りていけば、ちょうどリビングから顔を出したところのママと鉢合わせた。「そろそろ晩ご飯にしよ」と言ってくる彼女に、私は「ゴミを捨ててくるからちょっと待ってて」と返して廊下を進む。それから玄関でサンダルを履こうとしていたとき
「そういえば雛子、本当にいいの?」
 背中にそんな声がかかったので、私は後ろを振り返った。「なにが?」と軽く首を傾げれば
「ほら、今度の日曜日。本当に雛子は来なくていいの? せっかくの旅行なのに」
 うん、と私はにっこり笑って頷いてみせる。
「いいの。たまにはパパとママでゆっくり楽しんできて。そういう時間も欲しいでしょ、ママだって」
「あんまり気を遣わなくてもいいのよ。雛子も来たいなら、全然」
「ううん、本当にいいの。それにその日、亮ちゃんの誕生日だし。お祝いしてあげなくちゃ」
 笑顔でそう言うと、ママはふと怪訝な面持ちになり
「でも雛子、いいの?」
「なにが?」
「亮くん、最近彼女ができたそうじゃない。なのに雛子が誕生日を一緒に過ごしても大丈夫なの? 彼女さん、もしかしたら気を悪くしてるんじゃ」
 私は少しの間黙ってママの顔を見つめた。ポケットの中のフェルト生地をスカートの上から握りしめると、かさりと布が擦れる音がした。
「――いないよ?」
「え」
「カノジョなんて。いないよ、亮ちゃん」
 あらそうなの? と不思議そうに首を傾げるママに、私はにっこり笑って頷く。それから「ねえママ」と弾んだ声で続けた。
「あとで、ミネストローネの作り方教えて?」
「ミネストローネ?」
「うん。亮ちゃん、好きでしょ。誕生日に作ってあげるの」
 言うと、いいわよ、とママは朗らかに頷いた。そんな彼女に私も笑顔を返してから、履きかけていたサンダルに足を押し込む。それから外に出て、家の裏手にあるゴミ捨て場へ向かった。
 吹きつけた風に、赤いワンピースの裾が揺れる。
 目に焼きつくようなその鮮やかな色も、子どもっぽくて頭の悪いあの子も、本当は好きじゃない。だけど言わない。そんなことは誰にも。
 ポケットから取り出した青色のお守りを、無造作に地面に放る。そうしてこれまで私の過ごしてきた16年を思った。服もサンダルも携帯電話もできるだけ赤色で揃えて、学校でも休日でもあの子と一緒に笑い合って。いつだって彼が中心にいた、何もかもを彼に捧げてきた、その16年間。その年月は決して軽くはないのだから。絶対に、無下にされていいわけがない。まして、たまたま彼と同じ高校へ行って、たまたま彼と同じクラスになって、たまたま彼と隣の席になっただけの、彼の好きな色すらろくに知らないようなあの子に。私が彼に捧げてきたこの16年を、奪われていいはずがない。
 こんなに一途で真摯な想いは、報われなければならないのだ。絶対に。
 小さく笑って、反対のポケットから赤いお守りを取り出す。手のひらに載せ、指先でそっと撫でる。これと同じものが、彼の机の抽斗に大事にしまわれている、その光景を思い浮かべる。それだけでなんだか満たされた気持ちになるのを感じながら、私は地面に転がる青色を、赤いサンダルで思い切り踏みつけた。


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