あなたのかわいいわたしであるために


...05

 休み時間、突然教室にやって来たかと思うと、いきなり雑誌を開いてこちらへ突きだしてきた亜子に、思いきり眉を寄せて顔を上げる。そうして、「は?」と聞き返せば、彼女は意気込んだ様子でページを指さしてみせ
「これ! あこ、これに行きたい!」
 力を込めて繰り返しつつ、さらに雑誌をこちらへ突きつけてきた。眼前に迫ったページを仕方なく目で辿れば、でかでかと書かれた「おすすめデートスポット」の文字がまず飛び込んできて、さらに眉を寄せる。
「……これって」
「ここのイルミネーション、毎年すっごいきれいなんだって! あこ、前から行ってみたいなって思ってたんだ。ね、ゆーくん、今年いっしょに行こうよ、ここ」
 その誘いは、いつになくはっきりと告げられた。俺はちょっと顔をしかめて亜子のほうを見る。
「いっしょに?」あからさまに気のない態度で聞き返してみても、「うん!」は亜子は全力で頷いてみせ
「あのね、来月の24日にね、点灯式があるんだって」
 忙しなく雑誌を指さしながら、早口に続けた。
「だからね、あこ、できればその日に行きたいんだけど、ゆーくん、来月の24日空いてるかな?」
「そんな先のことわかるかよ」
 素っ気なく返せば、「じゃあさ」と亜子はさらに意気込んだ様子で身を乗り出してくる。
「空けといて、24日。いっしょにここ行こ。ね、おねがい、ゆーくん」
 めずらしく強引な約束の取り付け方に、俺はおもむろに亜子の手にある雑誌を取った。やけにきらきらとした写真と甘ったるい文字で溢れているそのページに目をやり、そして今更ながら、来月が12月であることに気づく。
「……ああ、来月の24日って」
「そう、クリスマスだよ! クリスマスイブ!」
 俺の言葉が終わらないうちに、亜子が張り切って声を上げる。
「ね、だから、デートしようね、ゆーくん。この日こそは!」
 最後の言葉は、いやに力強く言い添えられた。そこでようやく、彼女の意図に気づく。これまでさんざん先約があるという理由で亜子の誘いを断ってきたせいで、彼女も学習したらしい。俺は雑誌に視線を落とすと、ひとつため息をついて
「でもその日、普通に学校だろ。部活も遅くまであるだろうし、たぶん時間ない」
「大丈夫だよ。部活って6時くらいまででしょ。そのあとで行けばちょうどいいよ。イルミネーションだから、どうせ夜に行かないと駄目なんだし」
「部活終わりにそんな遠くまで行くのだるい」
「そんな遠くないよ。電車で二駅だし、ここ、駅のすぐ側だし」
「つーか、まずイルミネーションとか興味ない。そんな遠くまで行ってまで見る気しない」
「え、ぜったいぜったいきれいだよ。ここ、すっごい有名なんだよ。ていうかゆーくん、小さい頃好きだったじゃん。こういうキラキラしたやつとか」
 ね、だから行こ、と甘えるように繰り返す彼女は、いつになく折れる気配がない。にこにこと笑いながらも、やけに余裕のない目で、じっと俺の顔を見つめてくる。予定がないと言ってしまった以上、彼女の誘いを断る決定的な理由がすぐには思いつかずに、うんざりした気分で視線を外したとき、ふと、数メートル先に小森の姿を見つけた。亜子と同じように、うちのクラスの誰かに用事あってやって来たところらしい。けれどそいつとの会話は放って、気になって仕方がない様子でこちらをじっと見つめている。俺と目が合うと、すぐにその視線を逸らされたけれど、彼が未だこちらに聞き耳を立てていることはわかった。
「……なあ亜子」
 俺は彼女のほうへ視線を戻すと、手にしていた雑誌を乱暴に閉じた。そうして、またなにか説得のために口を開きかけた彼女に
「お前さ、長谷のこと知ってる?」
 出し抜けに尋ねてみれば、へ、と亜子は素っ頓狂な声を上げて目を丸くした。
「長谷くん?」軽く首を傾げながら、不思議そうに聞き返す。
「えーと、4組の長谷くんだよね? 香月さんと付き合ってる……」
「そう。あいつさ、女子の間じゃどういう評判なの」
 唐突な質問に怪訝な表情を浮かべながら、亜子は、どんなって、と答える。
「普通に人気だよ。かっこいいし、べつに駄目なところないもん。頭も良いし、優しいし、香月さんうらやましいって、みんな言ってる」
「でも浮気してんだろ、あいつ」
 言うと、亜子は一瞬だけ目を見開いたあとで、表情を強張らせた。けれどその反応が、浮気という言葉に対する驚きではないのは、よくわかった。もしかしたら、すでに噂で聞いて知っていたのかもしれない。べつにそれはどちらでもよかった。どちらにしても、彼女はその事実自体に対してはとくに驚かなかっただろう。亜子の意識は、それよりも、俺がそのことを口にしたということにあるようだった。
「……え、まさかあ」
 短い沈黙のあとであわてたように口を開いた彼女の声は、少し上擦っていた。口元をかすかに引きつらせ、ぎこちない笑みを浮かべる。そうしていやにはっきりとした口調で、「そんなわけないよ」と続けた。
「だって長谷くん、すごい優しい人だし、香月さんのこと大事にしてるもん。あこ、このまえも二人がいっしょに帰ってるところ見たよ。すごく楽しそうだったし、仲良さそうだったよ。だから絶対そんなわけないよ。ただの噂だよ、そんなの」
 必死さの滲む声でなんの迷いもなくそんなことを断言してみせる彼女は、どこまでも浅ましく愚かで、たしかに少しだけ、かわいいかもしれないと思った。


 けっきょくクリスマスの予定については曖昧なまま、亜子は次の授業の予習をしなければならないということで、昼休みが終わる前に自分の教室へ戻っていった。
 亜子がいなくなったあと、売店にでも行こうかと俺も教室を出ると、渡り廊下のところで小森と鉢合わせた。鉢合わせたというより、向こうは俺を待っていたらしい。俺の姿を認めるなり、彼はまっすぐにこちらへ歩いてくると
「沖島さあ」
 先日と同じようなけわしい表情で、あいかわらず出し抜けに口を開いた。
「なんでいっしょに行ってやらないわけ?」
「いきなりなんの話だよ」
「イルミネーション。行きたいって言ってんだから、いっしょに行ってやればいいじゃん。なんでいちいち渋んの、ああいうの」
 向けられた言葉は、びっくりするほど予想通りのものだった。俺は軽く眉をひそめて小森のほうを見る。そうして、「盗み聞きしてんなよ」といちおう突っ返しておけば、「近くにいたから聞こえたんだよ」となんとも悪びれない答えが返ってきた。
「沖島さ、マジでいっしょに行ってやらない気なの」
「そうだな。面倒くさいし、できれば行きたくない」
「うわ最悪。蓮見さん、あんなに行きたがってんじゃん。なんでおまえ、そこまで冷たくすんのさ」
「うざいから、あいつ」
「なんで。いい子じゃん、蓮見さん」
「お前もいっしょにいればわかるよ、たぶん。どうせ絶対嫌になるから」
 吐き捨てるように言うと、小森はぎゅっと眉を寄せ、なにか理解しがたいものを見るみたいな目で俺を見た。それから、顔をしかめたまましばし黙ったあとで
「……おれなら、もっと優しくしてあげるよ」
 苦々しく、そんなことを呟いた。黙って彼の顔を見れば、彼も睨むような目でこちらを見て
「クリスマスはこっちの予定切り上げてでもできるだけいっしょに過ごすし、イルミネーションが見たいっていうなら付き合ってあげるし。弁当だってもちろん食べてあげるし、授業中にメールで呼び出すとか、そんな無理なこともさせないし。おれは普通に優しくできる自信あるよ。おまえと違って」
 あからさまに敵意のこもったその声に、やっぱりあいつに気あるんじゃねえか、と突っ返しかけた言葉は、やはり思い直して呑み込んでおく。代わりに、あっそ、とだけ相槌を返し、ポケットから携帯を取り出した。中を開き画面を眺めながら、「なあ小森」と声を投げる。
「このまえ、お前、亜子にノート貸してたよな?」
「うん。沖島が蓮見さんを授業中に呼び出したせいで蓮見さん授業受けられなかったから、その分の」
 やっぱりあれあの日の分のノートだったのか、と俺はぼんやり考えながら
「べつに無理矢理呼び出したわけじゃねえよ。あいつが来たくないと思ったら来なくてもよかったんだし。ただ、あいつが自分で選んでやったことだろ」
「だけど蓮見さんは沖島が呼んだらすぐ飛んでいくってことくらい、もうちゃんとわかってたんでしょ」
「そうだな」
 相槌を打って、電話帳を開く。そうして彼女の番号を探しているうちに、ふいに喉の奥から低い笑いがこみ上げてきて
「たしかにあいつ、俺が呼んだらすぐ飛んでくるよ。面白いくらい。試してやろうか」
「は?」
 怪訝な表情を浮かべる小森にかまわず、通話ボタンを押す。電話は二回目のコールですぐにつながった。「もしもし、ゆーくん?」と耳元に返ってきたうれしそうな声に、「今渡り廊下のとこにいるからちょっと来て」とだけ告げて、なにか言葉が返ってくるのは待たずに、さっさと通話を切る。そうして小森のほうを向き直れば、俺がなにをしだしたのかわからないといった顔でこちらを見ている彼と目が合った。そんな彼へ、俺は小さく笑みを向けておく。それから、いいもの見せてやるよ、と心の中で呟いた。