あなたのかわいいわたしであるために


...04

 視線の先で、ひとりのクラスメイトが鮮やかなフリースローを決めた。わっと歓声が起こる中、なんとも爽やかな笑顔でチームメイトたちとハイタッチを交わしているその姿を眺めながら、そういえばあいつバスケ部だって言ってたな、なんてどうでもいいことをぼんやり思い出していると
「あーあ、つまんねえ。超つまんねえ」
 隣に座っていた津田が、同じようにコートの中を眺めながら、ぼそりと漏らした。
「バスケなんてやる気でねえよな。早くサッカーしてえ」
「そうだな」
 ひとりごとのような調子で続いた呟きには、心から同意して相槌を打っておく。その間に、今度はべつのクラスメイトが見事なスリーポイントシュートを決めていた。さっき以上に大きな歓声が起こる。中には黄色い声も混じっていて、見ると、体育館を真ん中で区切った反対側でバレーボールをしていた女子が、何人かこちらの試合を眺めていた。すぐ側で行われている自分たちの試合はそっちのけで、コートの中を軽やかに駆け回る彼らへしきりに熱い声援を送っている。
 隣の津田も同じものが目に入ったのか、ますます不機嫌そうに顔をしかめると
「バスケといえばさあ、香月さん、けっきょくどうするって?」
「なにが」
「ほら、バスケ部のマネやろうか迷ってるとか言ってたじゃん」
「ああ、やっぱやめるって」
 言うと、「マジで?!」と津田は勢いよく身を乗り出してきた。それから、「なんだあ、そっかそっか」と心底ほっとした様子で呟く彼に
「なにお前、そんなに嫌だったわけ?」
「そりゃ嫌だろー。香月さんはサッカー部のもんだろー」
「もう今は違うだろ」
「そうだけどさ、でもやっぱ、まだ俺の中では香月さんは俺らのマネなんだよ!」
 拳を握りしめて熱く語る津田から目を逸らし、またコートのほうへ視線を戻す。バスケの試合はあいかわらず白熱した様子で続いていた。例のバスケ部が今度は見事なドリブルさばきを披露し、女子たちがますます自分の試合を放り出しはじめている。
「……そうだな」
 ぼんやりとその様子を眺めながら、さっきの言葉に曖昧な相槌を打つと
「つーかさ、香月さん、マジでうちに戻ってきてくれたりしないのかなあ」
 どうしてもあきらめきれない様子で、津田が何度目になるかわからない言葉を口にした。だから俺もいつものように、「そりゃ無理だろ」と短く突っ返す。
「一回辞めた部にわざわざ戻ってくるとか、さすがに」
「そうだけどさあ、やっぱ香月さんがいないと、どうもモチベ上がんないんだよなあ。なあ今度さ、いっかい香月さんに本気で頼んでみねえ? 戻ってきてくださいって。意外といけるかも」
「……無理だと思うけど、どうせ」
 素っ気なく呟いて、バレーの試合が行われている体育館の北側へ視線を移す。香月たちのチームは休憩中らしく、俺たちと同じように壁の側に座り込み、他のチームの試合を眺めている姿が小さく見えた。以前は遠くからでもすぐに見つけられた、彼女の明るい髪。今は見つけるのに少し時間がかかるようになってしまった。なんだか彼女らしくないその暗い髪色を、遠目にぼうっと眺めていると
「あ、そういや香月さんってさあ」
 同じように彼女のほうへ目をやった津田が、思い出したように口を開いた。
「なんか最近、長谷とうまくいってないっぽいな」
「ああ、やっぱそうなのか? このまえ話したとき、たしかにそんな雰囲気だったけど」
「なんかさ、長谷が浮気してるらしいって。他校の子と」
 え、と聞き返すのに重なり、また歓声が上がった。誰かがシュートを決めたらしい。けれどそちらへ目をやることはなく、ふたたび体育館の北側へ視線を戻せば、今度はふと亜子の姿が目に留まった。ひとりだけ、白熱するバスケの試合には目もくれず、まっすぐにこちらを見ている。そうして俺と目を合わせた途端、遠目でもはっきりわかるくらいに顔を輝かせ、ぶんぶん手を振ってきた。
「あり得ねえよな。あんなきれいなカノジョがいて浮気とか。普通あんなカノジョがいたら、もう全身全霊で大事にすんだろ。やっぱもてるやつのことは理解できねえ」
 ぶつぶつと続く呟きに、そうだな、と適当に相槌を打ちつつ、手は振り返すことなく亜子から視線を外す。そうして津田のほうを向き直れば、なぜか彼は思い切り眉を寄せ、軽く俺を睨んできた。
「……いや、お前は人のこと言えねえだろ」
「は?」
「俺から見たら、お前もたいがいひどいよ」
 あれ、と津田は亜子のほうを軽く指で示す。しばらくはこちらへ向けて手を振り続けていた彼女も、今はあきらめたように隣のクラスメイトと会話を始めていた。
「手振り返してやれよ。いつも思ってたけど、お前なんで無視すんの、亜子ちゃんのこと」
「俺が手振り返してたらきもいだろ」
「……たしかに今想像したらきもかったけど、でもそれ以上に亜子ちゃんがかわいそうだろ、無視すんのは」
 俺が黙っていると、津田は大きくため息をついてから
「お前もさあ、もっと大事にしてやれよ。せっかくあんなかわいいカノジョがいるんだからさあ」
「は、かわいい?」
 さらっと口にされた一部分に、思わず露骨に顔をしかめる。すると津田のほうも怪訝そうに眉を寄せ
「なに、かわいいじゃん。お前のために弁当作ってきたり、部活が終わるまで校門のとこで待ってたり、なんつーか健気で」
「どこがだよ。マジでやられたらうざいぞ。だいたいあいつ、普段はかなり猫かぶってるだけで、実際すげえ性格悪いし。外面に騙されてんなよ、お前も」
 ふいに腹の底からこみ上げたむず痒い不快感に、軽く語気を強めてしまうと、津田は心底困惑した表情でこちらを見た。
「……いや、亜子ちゃん、お前のカノジョだろ」
「だからなんだよ」
「お前も亜子ちゃんのことかわいいと思ったから、付き合ってんじゃねえの、今」
「べつに」
「は?」
「あいつがどうしてもって言うから、付き合ってやってるだけ」
 言うと、途端に津田はあからさまに引いた顔をした。黙ったまま、しばらくまじまじと俺の顔を見つめる。そのあとで、「……お前さあ」とあきれたようにため息混じりの声をこぼした。
「照れ隠しにも限度ってのがあるだろ。なんかときどき洒落になってねえんだよ、お前のは」
 べつに照れ隠しじゃねえよ。突っ返しかけた言葉は、けたたましく響いた笛の音にさえぎられた。試合が終わったらしい。ついさっきまでコートの中を駆け回っていたクラスメイトたちが、ぞろぞろとこちらへ歩いてくる。代わりに、今度は俺たちのチームの招集がかかった。バスケなんてつまらないだとか言っていたわりに、「おっ、やっと俺らか!」とずいぶん張り切った足取りでコートへ向かう津田の後ろを、俺ものろのろと歩きはじめたとき
「――沖島」
 ふいに、背中に声がかかった。聞き慣れない声だった。振り返ると、やけにけわしい顔をした男子生徒がひとり、まっすぐにこちらを見ていた。話した記憶はないけれど、どこかで見た覚えのある顔だった。誰だっけと考えかけて、すぐに思い出す。今朝、下駄箱で亜子にノートを貸していた男子だった。
 俺は、ああ、と呟いてから
「えーと、小森だっけ?」
 今朝亜子が呼んでいた名前を口にしてみたけれど、彼はそれに対してはなにも返さず
「さっきの話」
 けわしい表情のまま、出し抜けに口を開いた。
「あれ、本気で言ってた?」
「あれって」
「蓮見さんの話。なんかさっき言ってたじゃん。べつに好きじゃないけど仕方なく付き合ってやってる、とかなんとか。あれ、マジで言ってたわけ?」
 重ねられた質問には、はっきりと非難の色が滲んでいた。眉間にしわを寄せ、初対面にしてはだいぶ刺々しい態度を、彼は隠すことなくこちらへ向けてくる。今朝、亜子としゃべっていたときとはずいぶん印象の違う彼に
「なに、気になんの」
 何とはなしに訊いてみれば、そりゃ、と答えは間を置くことなく返された。
「友達のことだし」
「友達?」
「うん」
 怪訝そうに聞き返す俺に、小森も怪訝な顔になる。
「……あいつは全然仲良くないとか言ってたけど」
「え?」
「いやなんでも」
 短く首を振ってから、あらためて彼の顔を見る。真剣な表情を崩すことなく、小森はじっとこちらを見つめている。どうやら本気で亜子を心配しているらしい彼に、なあ、と俺はふと思い立って口を開くと
「もしかして、あいつに気でもあんの」
「は?」
「だって気になるんだろ、俺とあいつのこと」
 言うと、小森は一瞬だけ不意を打たれたように目を丸くしたあとで
「……いやべつに、さっき沖島たちの話が聞こえたから。ちょっと気になっただけ」
 返ってきた言葉に、俺は、ふうん、と露骨につまらなそうな相槌を打っておく。それで小森がまたなにか言おうと口を開きかけたのがわかったけれど、ちょうどそこで、「早く来いよ沖島ー!」と俺を呼ぶ津田の声が飛んできて、結局、その続きを聞くことはなかった。