あなたのかわいいわたしであるために


...14

 しばし、俺は黙って小森の顔を見つめた。
「……はあ?」
 それからたっぷり五秒の間を置いて、ようやくそんな声が喉からこぼれる。
「なんだ、それ」俺は思い切り顔をしかめつつ吐き捨ててから
「なんでそんなのお前に言われなきゃいけねえんだよ」
「だってさ」
 それでも、小森の表情はあいかわらず動かなかった。涼しい表情のまま、なんとも淡々と口を開くと
「面倒くさいじゃん、今のままだと。こっちだって動けないし」
「動けない?」
「うん。おれさ、けっこう本気で蓮見さんと付き合いたいんだけど」
「だからなんだよ」
「だから、今のままだと蓮見さんだって次進めないし、困るじゃん。沖島がもうその気ないならさ、さっさと別れといてほしいんだけど」
 なんのためらいもなく言い切られた言葉に、一瞬、どんな表情を浮かべるべきか迷った。
「……なんだ、それ」短い間のあとで、俺は再度あきれて呟くと
「意味わかんねえ。亜子と付き合いたいならあいつにそう言えよ。俺じゃなくて」
「そりゃ言うよ。沖島が蓮見さんと別れたら」
「だから、べつに俺と別れてからじゃないと言えないようなことでもねえだろ、それ」
 イライラと突っ返してから、ひとつため息をつき
「そんなのいちいち気にしないでさっさと言えばいいじゃねえか。あいつがお前と付き合いたいって思えば、たぶん、あいつのほうから俺に言ってくるよ。別れろって」
「でも、蓮見さんからおまえにってなんか言いにくそうじゃん、そういうの。おまえに悪いとか気にしそうだし」
「はあ?」
 あいかわらず当たり前のように返される言葉に、ふたたびあきれた声がこぼれる。あわせてじわじわと苛立ちも積もってきて、俺は眉をひそめて小森のほうを見ると
「俺に悪いとか、あいつがそんなん気にするかよ。すげえ自己中だし、昔からこっちの都合とか思いっきり無視してきたようなやつだし。いいから、そういう話なら俺じゃなくて亜子に言えよ。心配しなくても、あいつ、そんな気遣うようなやつじゃねえから。大丈夫だよ、どうせ」
「じゃあ蓮見さんが別れようって言ってきたら、ちゃんと大人しく別れてくれるの、おまえ」
 続いた質問に、ふいに喉奥のあたりに気持ちの悪い抵抗感がこみ上げる。俺は思わず顔をしかめ、「当たり前だろ」と突っ返してから
「べつにこっちが引き止める理由もないし。つーか、そういうことならあいつにはもう言ってあるし、マジで気にしないでさっさと言えばいいよ」
「言ってあるって?」
「小森のほうがよくなったんなら、好きにすりゃいいって。だからお前も好きにすれば」
 イライラと吐き捨てて、あらためて鞄を肩にかけ直す。そうしてさっさと教室を出て行こうとしたところで
「好きにしていいなら、ほんとに好きにするけど」
 念押しするような声が背中にかかり、しつけえな、と顔をしかめた。そのままの表情で小森のほうを振り返る。
「だから好きにしろっつってんだろ。お前があいつになに言おうがどうでもいいよ。あいつのどこがそんなにいいのか知らねえけど」
 言うと、どこがって、と小森はちょっと怪訝そうに俺の言葉を繰り返し
「おまえだって付き合ってたんじゃん、蓮見さんと」
「だから、それはあいつがどうしてもって言うから付き合ってやっただけだっつっただろ。つーかマジで聞きたいんだけど、お前、あいつのどこがそんな気に入ったんだよ。うざいし性格も悪いしバカだし、前からすげえ謎なんだけど」
「ああ、おれ、そういう子がいいんだよね」
「は?」
 さらりと返された言葉に、思わず素っ頓狂な声を上げながら小森のほうを見ると
「ほら、いつだったっけ。沖島が蓮見さんを渡り廊下のところに呼び出したことあったじゃん。クリスマス、おれといっしょにイルミネーション見に行ってくればいいとか言ってたとき」
 いきなりそんな話を始めたので、はあ、と心底困惑した呟きが漏れた。「あのときさ」小森は気にした様子もなく、ちょっと懐かしそうな調子で続けると
「いいなって思った、蓮見さん。まあ、けっこう前からかわいいなとは思ってたけど」
「……へえ」
 変わった趣味してんな、と心の底から思いながら、そしてちょっと引きながら呟く。本人の目の前で、こいつとはぜんぜん仲良くないだとか、こいつといっしょに遊びに行くのは嫌だとか、そんなことを平気で言ってのける女のどこに惹かれる要素があったのか。ちょっと考えてみたけれどさっぱり理解はできずに、けっきょく、もしかしてこいつMだったのか、という結論に達しかけていたとき
「おれさ、ああいう頭軽そうな子がいいんだよ。カノジョにするなら」
「――は?」
 聞き返しながら顔を上げると、小森は最初とまったく変わらぬ静かな表情でこちらを見ていた。
 その表情があまりに普段通りだったことに、一瞬、ついさっき耳にした言葉がよくわからなくなった。「ああいう子って」思わず呆けたように彼の言葉を繰り返す。それに短く相槌を打った小森は、あいかわらずなんでもないことのように
「頭悪くて、付き合ってる間は相手のことしか見えなくなるような、そういう子。そういう子のほうがいっしょにいて楽だし、それにそういう子ってだいたいこっちの言うこと聞いてくれるし、頼めばしたいこと何でもさせてくれるじゃん。だから、付き合うならああいう子のほうがいいなって」
「……なに、亜子がそういう子って?」
「うん。なんかもろにそんな感じじゃん、蓮見さんて。沖島に対する態度とか見てても。だからすげえいいなって思ってた。顔も普通に好みだったし。まあたしかにちょっとうざそうっていうか、重たそうとは思うけど」
 しばし、俺は言葉を失ったまま小森の顔を見ていた。
 当たり前のようにそんなことを言い切ってみせる小森の声には、いっそ清々しいほど、なんの躊躇も罪悪感も混じってはいなかった。それだけで、それが彼の本心だということだけは疑いようもなくわかった。そしてそれをためらいもせずに口にできるくらいに、彼がそうした考え方に慣れきっていることも。
「……なに、お前」短い沈黙のあとで口を開くと、かすかに呼吸が苦しくなっているのを実感しながら
「それで亜子と付き合いたいって思ってんの」
「うん」
「なに、けっきょく、すぐやらせてくれそうだからってこと?」
「ああ、まあ、そうかも」
 答えは、やはりなんのためらいもなく返ってくる。どこまでも悪びれないその表情と口調に、思わず強く眉をひそめていると、あれ、と俺の顔を見た小森がふと首を傾げ
「なに、沖島だってそうだったんじゃないの」
「は?」
「沖島だって、蓮見さんとはそれ目当てで付き合ってんだと思ってたけど。散々うざいとか性格悪いとか言ってたし、あの子のこと」
「……はあ?」
 よりいっそう眉をひそめて声を上げると同時に、腹の底からは吐き気がするくらいの嫌悪感が突き上げてきた。一気に喉もとまでせり上がってきたそれに、考えるより先に喉から低い声が押し出される。
「うぜえ。お前といっしょにすんなよ」
「え、なに違うの? じゃあなんでうざいとしか思えない子とわざわざ付き合ってんの」
 純粋に不思議そうな調子で続いた質問には、もう答えなかった。
 途端、これ以上こいつと口を利くのも、同じ空間にいるのも、ひどく嫌になった。顔も見ていたくなくて、さっさと目を逸らすように踵を返す。そうして早足に教室を出て行こうとしたところで、ふと足を止めると
「……たぶんお前が思ってるほど、あいつ、バカじゃないよ」
 投げた声が、小森にちゃんと届いたのかはわからなかった。けっきょく彼のほうは一度も振り返る気になれずに、そのままさっさと教室を離れ、歩き出す。それでも吐き気がするような嫌悪感は少しも薄れることなく、いつまでも腹の底あたりで燻っていた。
 振り切るように歩きながら、ふいに手のひらに広がる痛みに気づき、目をやる。いつの間にか強く握りしめていた拳の中、押しつけられた爪が食い込んでいた。力を抜いたあとも鈍く痛みの残る手のひらを広げつつ、ふっと窓の外へ視線を飛ばす。

 なぜだか、ほんの少し、あいつに会いたくなった。