あなたのかわいいわたしであるために


...12

 ぼうっと携帯の画面に目を落としていたとき、ふいに横から手のひらが割り入ってきた。視界をさえぎるよう眼前で揺れるそれに、ちょっと驚いて顔を上げる。そうして、なんだよ、と眉をひそめれば、同じように眉をひそめた津田が
「お前、さっきから俺の話聞いてる?」
 向かいの席からじっとこちらを睨みながら、不機嫌そうに訊いてきた。言われて少しだけ考えてみたけれど、たしかに、今彼がなんの話をしていたのかまったく思い出せなかったので
「ごめん、聞いてなかった」
「ったくよー」
 津田は大袈裟にため息をついてから、ジュースを一口啜った。それから、あきれたように俺の手にある携帯を指さして
「お前さあ、そんなに気になるなら、さっさとメールなり電話なりすりゃいいじゃん」
「は?」
「亜子ちゃんからの連絡待ってんだろ。さっきからずっと携帯見てんの」
「……はあ?」
 なんとも出し抜けな言葉に、思い切り顔をしかめてしまった俺にかまわず
「なんか見ててうぜえから、さっさとお前から連絡しろよ、まどろっこしい」
 パンの袋を開けながら、津田は心底うんざりした調子で続けた。俺はますます顔をしかめ、「違えよ」と突っ返す。そうして乱暴に携帯を閉じると
「べつにあいつからの連絡とか待ってない。用もないし」
 言っても、津田の表情はまったく変わらなかった。はいはい、と子どもをあしらうような相槌を打って、甘ったるそうなクリームパンにかじりつく。その反応にますますむっとして、さらに言葉を続けようとしたが
「それより、さっきの話だけど」
 と津田があっさり話題を戻した。
「さっき?」
「ああそっか、お前聞いてなかったのか」
 聞き返すと、彼は思い出したように呟いてから
「――あ、そうだ。せっかくだし、亜子ちゃんも誘えばいいんじゃねえの」
 ふと思いついたように、またそんな出し抜けなことを口にした。今度こそなにを言われたのかわからず、「なんの話だよ」と眉を寄せれば
「今さ、サッカー部のやつらで、めぐみの送別会っていうか、なんかそういう、今までありがとう、みたいな会しようって話が出てんだよ。ひとりで長いあいだ頑張ってもらったんだしさ」
「ああ、たしかにそれはしたほうがいいかもな。いろいろ世話になったし」
「だろだろ。あと香月さんの歓迎会も兼ねてってことで。だからそれに亜子ちゃんも呼べば」
「……はあ?」
 なにが「だから」でその提案に続いたのかわからず、俺はまた顔をしかめると
「意味わかんねえ。亜子はサッカー部じゃねえだろ」
「そうだけど、もうほぼサッカー部みたいなもんじゃん。よく練習見に来てくれるし、他校で試合あるときも毎回応援来てくれるし」
「……たぶん、もう来ねえよ」
「へ?」
「あいつ、今はサッカーより勉強にはまってるらしいから。練習も試合も、もう見に来ないんじゃねえの」
 言っても、やはり津田の表情は変わらなかった。「だからさ」となぜかちょっと気遣わしげな口調になって続ける。
「これを機に仲直りすりゃいいじゃん。どうせお前のことだから、変に意地張ってんだろうけど」
 なんともさっぱりした調子でそんなことを言ってくる彼に、「はあ?」とさっきから何度目になるかわからない苛立った声がこぼれる。
「なんだ仲直りって。べつに喧嘩とかしてねえよ」
「ああ、喧嘩じゃなくて亜子ちゃんがお前に怒ってる感じか。なに、やっぱ香月さんのことが原因で?」
「は、香月のこと?」
「ほら、お前が香月さんをサッカー部に誘ったから。それで拗ねてんじゃねえの、亜子ちゃん。まあたしかにあれはちょっとお前が無神経だったっていうか、亜子ちゃんかわいそうだったし」
「――はあ?」
 しらっとした調子で言われた言葉に、今度こそ本気で苛立って顔を上げる。そうして、こちらの反応などかまわずジュースを啜っている津田の顔を、思い切り眉をしかめて睨みながら
「なに言ってんだ、お前が言い出したんだろ。香月誘えって」
「そりゃ言ったけどさあ、香月さんだけに声掛けたってのがまずかったと思うんだよ。亜子ちゃんにもいっしょに声掛ければよかったのに」
「なんだそれ、マジで意味わかんねえ」
 心の底から呟いて、お茶をひとくち飲む。それから、めずらしく母が今日は早起きしたからということで作ってくれた弁当の包みを解きながら
「べつに、亜子にはサッカー部入ってほしいとか全然思ってないし。声掛ける理由がない」
「いやでも、やっぱ亜子ちゃんからしたらショックだったんだと思うぞ、お前が香月さんだけ誘ったの。拗ねてるとしたら、ぜったい理由はそれだろ」
「そうだとしても知るかよ。勝手に拗ねさせときゃいいだろ」
 お前なあ、と津田はまるで小さな子どもでも相手にしているかのような、いやに辛抱強い口調で呟いて
「いいから意地張ってねえで誘えよ。このままぎくしゃくしっぱなしじゃ嫌だろ、お前も。ほんとまどろっこしいな」
「誰が誘うかよ」
 イライラと吐き捨てて、弁当の蓋を開ける。
「亜子がマネージャーとかありえねえっつっただろ。だいたいもう香月が戻ってきてくれたんだし、今更誘う必要もねえだろ」
「いやいや、マネは多いに越したことないって。つーか、単純に女の子増えるとそれだけでモチベ上がるしさあ、亜子ちゃんがマネやりたがってるってんなら、ぜひ来てほしいんだけど」
「だったら募集でもかけろよ。とにかくあいつがうちのマネージャーとか冗談じゃない」
 話題を断ち切るように告げてみたけれど、津田は、なんで、とますます勢い込んだ様子になり
「なにがそんなに嫌なんだよ。いいじゃん、亜子ちゃん。なにげに気も利くし、サッカーのことよくわかってるし。なんか良いマネージャーになってくれそうだしさ、俺、けっこう本気で来てほしいんだけど」
「はあ? どこがだよ」
 俺は弁当へ伸ばしかけた箸を止め、津田のほうを見た。腹の底から、例のむず痒い不快感がこみ上げる。
「うざいし頭は悪いし仕事はできないし。最悪だろ、あんなマネージャー」
「そんなのやってみないとわかんねえじゃん。つーか亜子ちゃん、前にスコア記録やってもらったときはすげえてきぱきこなしてくれたし、意外に仕事できる気するけど」
「それはない。俺、何年あいつといっしょにいると思ってんだよ。どうせお前もずっといっしょにいりゃわかるよ。マジでうざいし性格悪いし、ぜったい後悔するから、あいつがマネになんてなったら」
 軽く語気を強めると、ふいに津田が怪訝な表情で顔を上げた。飲みかけていたペットボトルから口を離し、まじまじと俺の顔を眺める。それからふと、なにかを発見したみたいに目を細め
「……お前さあ」
「なんだよ」
「なにそんなむきになってんの」
「は?」
 思わず素っ頓狂な声を上げながら津田のほうを見ると、彼は怪訝そうに首を傾げたまま
「前から思ってたけど。お前、いっつも妙に怖いよな、亜子ちゃんのことになると」
「怖い?」
「ほら、ちょっとでも亜子ちゃんのこと良く言われんのも気に食わない感じっていうかさ、とにかくなんか必死じゃん。亜子ちゃんの話題になると」
「……必死?」
「いっつもさあ、なにそんな必死になってんだよ、お前」
 つかの間、俺は呆けたように津田の顔を眺めた。
 向けられたその言葉を意味を理解するのに、少し時間がかかった。それくらいちぐはぐな言葉だと思った。一拍遅れて、波立つような不快感がこみ上げる。顔をしかめた。
「べつに必死じゃねえよ」
 ――だって。心の中で呟く。
 必死なのは、あいつだ。俺に捨てられないよう、必死で俺に媚びて、俺の機嫌をとっているのは。ずっと、あいつのほうだった。これまでだってずっとそうだったし、これからもずっと、そうでなければ、いけない。そうでなければ。
「や、必死だって、なんか」
「必死じゃねえよ」
 さらに言い募ろうとする津田の言葉を打ち切って、携帯に目を落とす。あいかわらず、そこにはなんの文字も並ばない。なんとも殺風景なその画面を眺めているうち、また、無性にイライラした。