わたしのかわいいあなた


...

 うーん、と大袈裟に唸りつつ、ちーちゃんの机に突っ伏す。そうして、向かいで黙々と問題集を解いているちーちゃんの顔を上目に窺ってみたけれど、ちーちゃんのほうは頑なに無視を決め込んでいるらしく、いっこうにシャーペンを走らせる手を止めない。寂しくなって、今度は、はああ、と大きなため息をついてみる。いかにも「悩んでます!」というその表現にも、ちーちゃんは無反応だったけれど、めけずにしばらく続けていたら、やがてちーちゃんのほうが先に折れた。はあ、とひとつため息をついてから、ようやく顔を上げた彼女は
「なに亜子、なんか悩み事ですか」
 と、待ち望んでいた質問をようやく寄越してくれた。
「うん!」とあこは勢いよく突っ伏していた頭を上げると
「あのね、もうすぐゆーくんの誕生日なんだけど!」
「へえ」
「プレゼント、何がいいかな!」
「……まあ、だいたいそんな悩みだろうと思ってたけど」
 あからさまに面倒くさそうな表情で呟いたちーちゃんは、ふたたび問題集に視線を落としてから
「サッカーボールとかでいいんじゃない。サッカー部だし」
 表情と同じだけ面倒くさそうな調子で、そんな答えを返した。「えええ!」とあこはちーちゃんの視界に割り込むように問題集の上に顔を突き出すと
「そんな投げやりやめてよ! ちーちゃんもいっしょに考えようよ!」
「だってあたし、沖島くんの好みとかぜんぜん知らないし」
「じゃあじゃあ、ちーちゃんは隼人くんの誕生日、なにをプレゼントした?」
 尋ねると、んー、とちーちゃんは少しのあいだ手を止めてから
「今年は帽子で、去年はCDと本だったかな」
「えっ、そんな高いものプレゼントしたの?!」
「べつにそこまで高くないでしょ。なに、亜子はどれくらいの予算で考えてたの?」
「え、んーと、千円くらい」
 言うと、ぴたりと止まったちーちゃんの手から、シャーペンが落ちた。「……え?」顔を上げ、なにか信じがたいものを耳にしたという表情で、まじまじとあこの顔を見つめる。そのちーちゃんの反応に、あれ、ちょっと安すぎたかな、とおくれて恥ずかしさがこみ上げてきたあこは
「ほ、ほら、実はあこ、いま金欠で、あんまり余裕がないというかなんというか」
「でも亜子、この前までバイトしてたじゃない。ガソリンスタンドで」
「してたけど」
「そのバイト代は?」
「もうとっくに使っちゃったよ。ブーツとかコートとか買ったもん」
「はあ?!」
 ちーちゃんは素っ頓狂な声を上げながら、こちらへ身を乗り出すと
「なに、あれてっきり沖島くんのために頑張ってるんだと思ってたけど、思いっきり自分のためだったわけ?」
「え、ゆーくんのためだよ。ゆーくんのために可愛くなろうと思ったんだよ」
「……物は言い様ねえ」
 あきれたような感心したような複雑な声で呟いてから、ちーちゃんは机に転がっていたシャーペンを拾った。そんな彼女にあこはなんだか言い訳するような気分になりながら、「そ、それにほら」と早口に言葉を継ぐと
「あこ、最近ゆーくんのお弁当作ってるんだけど、それが意外とお金がかさむというかね」
「ああ、たしかにあれはけっこうお金かかりそうよね。あのスイーツ弁当」
「そうなんだよ。しかもあこ下手だから、何回も作り直したりしてるし」
「……ていうか亜子、あの嫌がらせとしか思えない弁当、いったいいつまで続けるつもりよ」
「え? 今のところやめる予定はないけど」
 きょとんとして返せば、ちーちゃんはふたたび顔を上げてあこの顔を見た。「だって」と、あこは思わずにやけながら続ける。
「ゆーくん、なんだかんだで毎回ぜんぶ食べてくれるもん」
「……相変わらず、なんだかんだで亜子に甘いのね、沖島くんて」
 なんだか気の毒そうに呟かれたちーちゃんの言葉に、さらに表情がふやける。「うん、そうなんだよ!」とあこは勢い込んで相槌を打つと
「でね、あこはゆーくんのそういうところを見るのが好きなの」
「そういうところ?」
「そういうふうにね、あこのために頑張ってくれてるところ」
「……え、なに、あんた」
 ちーちゃんはぎょっとしたような声を上げてあこの顔を見ると
「沖島くんが無理して食べてくれてるってわかってて、毎日作ってんの?」
「そりゃわかってるよー。ゆーくん、甘いものたいして好きじゃないらしいし」
「なにそれ、なんでそんなことすんのよ。沖島くんかわいそうじゃん」
「だってあこ、ゆーくんが無理してる顔好きなんだもん。見てるとドキドキするの。あこのために頑張ってくれてるんだなあって」
「……亜子って」
「ん?」
「なかなか鬼ね」
「え、そうかなあ。愛だよ、愛」
 あからさまにドン引きした顔でこちらを見つめてくるちーちゃんにかまわず、「だからね」とあこは浮き立った口調のまま続けると
「そんなふうに日頃頑張ってもらってる感謝の気持ちも込めて、誕生日には気合いを入れたプレゼントを贈ろうかと」
「そのわりに、予算は千円とか言ってるのね」
「だって金欠なものは仕方ない」
「あー、じゃあもうあれでいいんじゃない。ほら、プレゼントはわたしー、ってやつ」
「へ? なにそれ」
 きょとんとして聞き返せば、ちーちゃんも一瞬きょとんとしたあとで、うわ、と顔をしかめた。
「やめてよ。亜子にそんな冷めた反応されると死ぬほど恥ずかしくなる」
「だってちーちゃんが変なこと言うから」
「うん、ごめん。あたしが悪かったからもう聞かなかったことにして流して」
「もうとっくにあこはゆーくんのものだし、今更プレゼントするようなものじゃないもん、そんなの」
 言うと、ちーちゃんはしばし無言であこの顔を見つめた。なんと反応しようか迷っているような沈黙だった。やがて、「……ああそう」となんだか疲れたような声で呟いたちーちゃんは
「だったらバイトしてお金稼いだら。沖島くんの誕生日っていつなの?」
「今月の17日」
「じゃあまた時間あるじゃん。日払いのバイトでも探して頑張りなさい」
 話題を断ち切るように言って、ちーちゃんはふたたび問題集に目を落とした。どうやらこれ以上相手をしてくれる気はないらしい。だけどたしかにちーちゃんの言うとおりだと思ったので、「やっぱりそれしかないよねえ」と呟いて、あこは椅子から立ち上がる。それから自分の席に戻ると、さっそく携帯を開き、求人情報サイトでも眺めてみることにした。


「じゃーんっ」
 いつものように、北校舎の階段でお弁当をふたつ広げる。なんだかんだで、今はすっかりこの場所があこたちのお弁当場所として落ち着いていた。最初の頃は、こんな薄暗い場所より中庭とか屋上とかで食べたいと散々言っていたのだけれど、実際に一度だけ中庭へ行ってみたら、吹きさらしで寒いうえに、人が多いから堂々といちゃいちゃできなくて、思いのほかつまらなかった。それよりは、多少陰気でもゆーくんとふたりきりになれるこの場所のほうがいい。
「……相変わらず甘そうだな」
 お弁当の中身を見たゆーくんが、眉をひそめてぼやく。けれど文句は言うことなく、あこが差し出したウェットティッシュを黙って受け取った。ちなみに今日のお弁当は、パンプディングにりんごのフリッター、それからフルーツサラダ。パンプディングのパンは、本に書かれていたおすすめのとおり、ちょっと贅沢してブリオッシュを使ってみた。そのことを教えておこうと口を開きかけたところで、ゆーくんのほうが先に、あ、と思い出したように声を上げ
「そういや今日、部活のあと津田たちと買い出し行くから」
「え、そうなんだ」
「だから今日は先帰ってていい」
「うん。今日はあこもちょっと用事あったし、ちょうどいいや」
「……用事?」
 うん、と相槌を打ってから、「ちょっとバイト探そうかと」とあこが答えかけたところで
「まさかお前」
 一拍早く、ゆーくんがいやに硬い声で口を開いた。
「まだあいつに勉強教えてもらってんの?」
「へ、あいつ?」
 聞き返すと、ゆーくんはその名前を口にするのも嫌そうな様子で顔をしかめてから
「小森と、まだいっしょに勉強してんの」
「え、してないよ。用事って勉強じゃないよ。今日はね、バイトを探そうと思って」
「バイト?」
 なにやら誤解があるようだったので、あわてて正しい理由を説明したけれど、ゆーくんの表情はなぜかますますけわしくなった。「なに、バイトって」眉を寄せたまま、あからさまに不機嫌な声で聞き返す。
「なんでまたバイトしようとしてんの」
 正直に言おうかどうか、あこは少しだけ迷ったけれど
「まあ、理由についてはいちおう内緒ってことでー」
「言わないなら、本当はバイトじゃなくてあいつと勉強してるとみなす」
「ええっ、なにそれ!」
 ゆーくんはすっかりお弁当から視線を上げ、じっとあこの顔を見ている。その表情が思いのほか真剣だったので、けっきょく、あこはすぐにあきらめた。「えーと」なんとなく気恥ずかしくなってゆーくんの顔から目を逸らすと、指先で頬を掻きながら
「ゆーくんのプレゼントを買おうかと……」
「は?」
「ほら、今月、ゆーくんの誕生日でしょ。だから」
 言うと、ゆーくんはなぜか一瞬きょとんとしていた。ややあって、ああ、と思い出したように呟く。
「そういやもうすぐだっけ、誕生日」
「えっ、忘れてたの?!」
「忘れてた。すっかり」
「だめだよ自分の誕生日忘れちゃ! 人生損するよ!」
「損はしないよ。どうせお前がぜったい覚えてるし」
 そう言ったゆーくんの声がなんだか妙に穏やかだったから、あこは少し照れてしまった。
「そ、そうか。それもそうかあ」相変わらず意味もなく頬を掻きながら、にやにやと呟いていると
「なに、つまり俺の誕生日プレゼント買う金がないからバイトするって?」
「そうです。お恥ずかしながら」
「ふうん」
 いつの間にか、ゆーくんの表情からはすっかりけわしさが消えていた。「そういうことなら」さっきまでよりいくぶん機嫌が良くなった様子で、ようやくお弁当に手を伸ばす。ゆーくんの機嫌が直ったようなので、とりあえずあこもほっとして、自分の分のウェットティッシュを取りだそうとしたとき
「バイトはするな」
「……へ?」
「プレゼントとかいいよ」
「え、え、よくないよ! ゆーくんの誕生日なのに!」
「その俺がいいっつってんだからいいんだよ。あと今日、やっぱ津田たちと買い出し行くのやめたから」
「へ?」
 なんだかよくわからない話の流れにぽかんとしていると、ゆーくんはりんごをひとつつまんでから
「だからやっぱり、放課後ちゃんと待ってろよ。いっしょに帰ってやるから」
 どこか楽しそうに、そんなことを言った。久しぶりに聞いた気のするその子どもっぽい声に、あこはちょっとびっくりする。これはゆーくんが本当に機嫌が良いときの声だ。べつに、にこにこしたり声が弾むわけでもないのに、こういうときのゆーくんはやたらわかりやすい。顔を見ると、表情もすごく柔らかったから、あこは思わずどきどきしながら
「でもあこ、ほんとに冗談じゃなくお金ないんだよ? 今のままじゃケーキくらいしか買えないかも」
「じゃあそれでいいよ」
「えええやだよ! ゆーくんがよくてもあこがやだよ!」
「じゃあなんか金使わないプレゼントでも考えろ」
「え、あ、まさか、プレゼントはわたし、とか?!」
「は? なんだそれ」
 ふと今朝のちーちゃんの言葉を思い出して言ってみれば、思いっきり眉をひそめたゆーくんに、これ以上なくばっさりと切り捨てられた。予想よりだいぶ素っ気なかったその反応に、途端に恥ずかしくなってきて、「な、なんて!」とあわてて撤回しかけたところで
「意味わかんねえ。そんなの今更すぎんだろ」
 純粋に不思議そうな口調でゆーくんがそんなことを言うので、一瞬固まってしまった。
 一拍の後、頬がゆるんで、またにやけが顔中に広がるのを感じる。「……だ、だよねえ!」意味もなく前髪をいじりながら、あこは軽く上擦った声で大きな相槌を打つと
「いや、あこも今更だなあとは思ったんだけどね! なんていうか、そんなの当たり前だし!」
「そうだよ。俺がとくになにも得してない」
「だよね、だよね! じゃあさ、あれは? ゆーくんの好きな格好で一日ご奉仕ー、とか!」
「はあ?」
 相変わらずその一言であっさり心は折れて、「な、なんちゃってー!」とまたすぐに撤回しようとしたら
「なに、好きな格好って」
 ゆーくんがふと顔を上げた。真面目な顔でじっとあこを見る。
「たとえばどんなの」
「え? えーと、えーと」
 とくになにも用意していなかったあこは、あわててちょっと考えてから
「め、メイド服とか?」
「お前そんなの持ってんの?」
「いや、持ってはないけど」
「じゃあ無理じゃねえか」
「あ、でも!」
 あこはなぜか妙に焦って
「いとこにね、服飾系の専門学校に通ってる子がいるんだ。その子、そういう衣装も作ってるから、頼めば調達できるかも」
 なんとなく早口になりながら告げると、ゆーくんは真顔のまま、ふうん、と呟いた。なにか考え込むような沈黙のあとで、「メイド服か」といやに真面目な声で呟く。それからまた短い沈黙をおいて
「――なんかいまいち」
「へ?!」
「衣装って他にもあんの?」
「あ、うん! 前に見せてもらったときはね、ゴスロリっぽいのとかドレスみたいなやつとか、いろんなの持ってたよ」
「じゃあ、とりあえず調達できそうな衣装の一覧でも持ってこいよ。その中から俺が選ぶ」
 相変わらず、至極真面目な顔で告げてから、ゆーくんはふたたびお弁当に目を落とした。そうしてようやく食事を再開したゆーくんの横顔を眺めながら、おお、とあこはちょっと新鮮な感動に浸る。十年間いっしょにいたけれど、そのへんのゆーくんの嗜好については知らなかった。あこもまだまだだ。メイド服がだめなら何がいいんだろう。ナース服とか? あの子、持ってるかなあ。考えながら、さっそくいとこにメールを打つため、あこは携帯を開いた。
 まあもしいとこが持っていなかったときは、自分で作っちゃおう、というくらいの心意気にはすでになっていたけれど。不器用さには自信のあるあこだけど、きっとゆーくんのためならできる。なぜだか、そんな根拠のないこともいやにはっきりと確信させてしまうのが、昔から、ゆーくんのすごいところだった。