「刈谷くん、いいよねえ」
 日差しの下を歩きながら、園山さんが唐突にそんなことを呟いた。すると高須賀も、「いいよなあ」と彼女に同意したので、俺は途端に良い気分になって、そうだろう、と心の中でこっそり胸を張る。
 羨望の眼差しを向けられるのは、これまでも幾度となくあった。主に男子からのものだったが、彼らがうらやむ気持ちはよくわかる。実際に俺は幸せ者だ。美人で可愛くて性格も良い品行方正の優等生なんて、まったくどこに不満を持てばいいのやらわからない彼女を持つ男をうらやましく思うのは、ごくごく自然なことだ。
 そんなことを考えて、一人何度も頷いていると
「直紀と同じクラスなんてさー」
「あ、そっち?」
 だいぶ予想外の言葉が続いて、思わず声が漏れていた。
「しかも直紀の前の席なんでしょー。いいないいな。授業中でも話し放題じゃん」
「いや、授業中は話せないだろ」
 とりあえずそう突っ込めば
「でもみな、直紀が後ろにいるって思ったら、どんなつまんない授業でも絶対頑張れるなあ。そしたら、成績だってちょっとはマシになるかもしれないのに。あーあ、刈谷くん、ほんとにうらやましい」
 園山さんは、真面目な顔でぶつぶつとそんなことを言っていた。心の底からうらやましがっているらしい彼女に、高須賀も真顔で頷いていたので、それを言うなら俺だって高須賀が本気でうらやましい、と心の中で呟いた。
 なっちゃんは努力家で、成績も良い。一年生の頃から一組に在籍していた彼女と同じクラスになれるよう、俺も必死に勉強したのだが、結局一組には届かなかった。運だとかそういう問題ではなく、俺がかなり偏差値を上げない限り彼女と同じクラスにはなれない、というきつい条件なのだ、こっちは。
 そんなことを考えている間も、園山さんのぼやきは続いていた。
「みなも、文系じゃなくて理系にしとけばよかったなあ」
「そりゃ無理だろ。お前、数学も化学も欠点ぎりぎりだったじゃねえか。去年」
「それは、まだその頃は直紀がいなかったから。この前ね、直紀に数学教えてもらったんだけど、みな、すっごく頑張れたんだよ。駿に教えてもらうのは、いまいちやる気出ないんだけど」
「お前、留年せずに済んだのは誰のおかげだと思ってんだよ」
 お互いに容赦のない物言いで会話を続ける二人を眺めているうちに、ふっと疑問が湧く。
「……え、園山さんって」
 首を捻りつつ口を開けば、二人とも会話を止めてこちらを見た。
「直紀のこと好きなのか?」
 なにも考えないうちに、浮かんだ疑問が口をついて出ていた。口にしたあとで、もしかして突っ込んじゃいけない話題だったかと少し焦ったが、園山さんはすぐににこりと笑って
「うん、大好きー」
 これ以上ないほどあっけらかんとした調子で、肯定してみせた。困惑して、思わず眉を寄せてしまうと、それだけで彼女はすべて察したように
「だからね、今日もすっごく幸せ。直紀、楽しそうだし、いっぱい笑ってるし、それだけでみなもすっごく楽しいもん。あ、そうだ、言い忘れてたけど、ありがとう刈谷くん。今日、誘ってくれて」
 いや、べつに園山さんたちは誘ってないが、と思ったが、なぜか今度はすぐに、まあいいかと思えた。
 目の前の笑顔は、これまで抱いていた彼女のどのイメージとも重ならない、ひどく穏やかなものだった。そして、直紀の笑顔を純粋に喜んでいることを臆面もなく告げたその声は、本当に優しくて、きっとその想いはなんの混じりけもない、真実なのだと感じた。

 トイレの前で、園山さんとは一旦別れた。
「でもさあ、本当にいいよな刈谷は」
 今度は高須賀と二人で自販機へ向けて歩きだすと、高須賀はまたその言葉を繰り返した。こいつら本当に直紀大好きだな、と思いながら、「いいだろ」と軽く受け流せば
「いや、直紀と同じクラスなのもだけどさあ、桜、うちのクラスじゃ結構人気だし、刈谷さ、わりと有名だぜ。一組でも」
 油断していたところに待ち望んだ話題が出てきて、緩む口元を引き締めるのに苦労した。
「いいだろう」
 今度は力を込めてそう返せば、「なんかむかつくな」と高須賀がぼそっと呟いた。その言葉は直紀にも散々言われてきたので、もう慣れている。俺はすっかり良い気分になって、足を進めた。
 自販機に着いたので、千円札を一枚を入れた。
「なあ、高須賀って」
 聞いてきた希望の品を探して指を彷徨わせながら、ふっと浮かんだ疑問を、俺はまたなにも考えないうちに口にしていた。
「やっぱり園山さんが好きなのか」
 最初はてっきり高須賀と園山さんが付き合っているのだとばかり思っていたが、さっきの園山さんの話を聴くかぎり、そうではないらしい。すると途端に彼らの関係がよくわからなくなって、そんなことを聞いてみれば
「そりゃ好きだけど」
 さっきの園山さんと同じような、ひどくあっさりした調子の答えが返ってきた。ボタンを押せば、がこんと音を立ててパックが落ちてくる。それを取り出すため軽くしゃがみながら
「いやだから、その好きって、どういう意味でだ」
 そう質問を重ねると、「は?」と聞き返されたので
「だから――ほら、どれくらい好きなのかって」
「どんくらいって」と高須賀はしばらく眉を寄せて考えていたが、やがて
「あいつのためなら、何でも捨てられるくらい」
 さらっとした口調で、そう答えた。
 それがまったく迷いのない答えだったので、言葉に詰まる。わかるようなわからないような複雑な気分だったが、それ以上はなにも聞けず、俺は静かに相槌だけ打った。


 飲み終えたミルクティーのパックを小さくつぶしてから、園山さんが立ち上がる。
「ね、次はお化け屋敷行こうよ。ここのお化け屋敷、大きくて怖いって有名なんだって」
 いずれ来るだろうとは思っていたこの提案にも、きっぱり首を振っておいた。
「俺はいい」
 二連続でそう告げれば、「えー、またー?」と園山さんが口をとがらせたが、なんと言われようがこれにも行く気はない。夏になるとやたら増える心霊番組すら徹底的に避けているというのに、お化け屋敷などもってのほかだ。あんなところへお金を払ってまで進んで入る人間の気が知れない。
 たしか直紀も俺と同じような部類の人間のはずだったが
「直紀は行くよね?」
 と園山さんに満面の笑みで聞かれ、なにやら葛藤しているような表情で黙り込んでいた。その間に、園山さんは、直紀の隣に座る白柳さんのほうへ視線を移し
「柚ちゃんは行くでしょ?」
「あ、はい、行きたいですっ」
 白柳さんは嬉しそうに頷いた。園山さんは、よし、とにっこり笑うと
「駿はもちろん行くとして――あ、桜さんは?」
「ごめん、私いいや。ここで待ってるね」
 なっちゃんの返事に、俺は驚いて彼女のほうを見た。先日なっちゃんは、ここのお化け屋敷が有名だという話を聞いて、行ってみたいとはしゃいでいたのだ。どうしたのかと心配になり彼女のほうを見ていると、ふいになっちゃんはこちらを向いて、なぜか少し決まり悪そうに笑った。
「で、直紀はどうするの?」
「あー……俺、お化け屋敷ってちょっと苦手で」
 再度園山さんに尋ねられ、直紀が言いにくそうに答える。すると高須賀が、面白そうににやっと笑った。
「あー、たしかに苦手そうだよな、直紀」
「駿とみなは、全然平気そうだよな」
 力なく直紀が返す。その横で、園山さんはなにか考えるような表情で「そっかあ」と呟くと
「それなら仕方ないよね。三人で行こっか」
 すると白柳さんが、えっ、と声を上げた。助けを求めるような目で直紀を見る。必死になにかを訴えるその視線に、直紀はなんだか諦めたように笑うと
「……俺も行くよ」
 力なくそう言って立ち上がった。白柳さんがぱっと弾けるような笑みを見せる。その横で、園山さんと高須賀が、してやったりという顔で笑っていた。

 直紀気の毒だな、と思いつつ、彼らの背中を見送ったあと
「なっちゃん、行かなくてよかったのか? 行きたいって言ってたのに」
 尋ねると、なっちゃんはちょっとはにかむように笑って頷いた。
「うん、いいの。ちょっと疲れたから、休憩したかったし」
 疲れたといっても、まだジェットコースターしか乗っていないし、さっきまで休憩していたようなものじゃないのか、とぼんやり考えて、首を捻る。まあ、たしかに今日は残暑らしい蒸し暑さで、じっとしているだけでも体力が奪われそうだった。それに正直、ちょっとはなっちゃんと二人きりにもなりたいと思っていたので、ありがたいが。
 そこまで考えたとき、ふっと思い当たる。――もしかして、なっちゃんもそう思ってくれていたのだろうか。
「あ、そうだ健太郎。あのね」
 ふいになっちゃんは声を上げ、膝に置いていたハンドバックを開けた。
「さっき、健太郎たち待ってる間に露店見つけて、ちょっと行ってみたんだ。そしたら、可愛いの見つけてね……ほら!」
 そう言ってなっちゃんが取り出したのは、丸っこいカエルのキーホルダーだった。ぎょろっとした、異様に大きな目がまず目について、可愛いのかこれ、と思わず首を捻ってしまったが
「可愛かったから、健太郎の分も買っちゃった。あげる」
 なっちゃんに満面の笑みで差し出されれば、不思議と、すぐに可愛く見えてくるのだった。
 ありがとう、と礼を言ってから、しばらくそのキーホルダーを眺めていると
「ここに来た記念ね」
 なっちゃんが楽しそうに笑って言った。俺も笑顔で頷いた。
「……なんか、ごめんな」
 呟くと、なっちゃんはきょとんとして俺の顔を見た。
「いきなり人数増えたし、なっちゃん、あいつらとは全然面識なかっただろうし、困っただろう」
「え、そんなことないよ。全然」
 なっちゃんは明るい笑顔で首を振ると
「楽しいよ。みんな親しみやすい感じだし。にぎやかでいいよ」
 彼女の言葉を、俺が、安心したような少し寂しいような複雑な気持ちで聞いていたら、まるでその心を見透かしたように、なっちゃんはすぐに、でも、と続けた。
「今度はさ、やっぱり二人で来たいかも。いつかまた行こうね」
 ――ああ、たしかに俺は幸せ者だ。目の前の、それはもう可愛らしい笑顔を眺めながら、改めて思う。
 そうだな、と頷いてから
「次はもう少し涼しくなってからにしような」
「そうだね。暑いのはやっぱり堪えるね」
「……次は、頑張ってお化け屋敷も行くから」
「本当に? やった。楽しみにしてる」
 なっちゃんは無邪気に声を上げる。
 今日は、この彼女の笑顔と、マイナスで固まっていた園山さんと高須賀のイメージが改善されただけでも、大きな収穫だったと思おう。
 お化け屋敷のほうから歩いてくる、楽しそうな三人に囲まれた中で一人だけ疲れ切った顔をしている直紀を見つけたとき、俺はそんなことを考えていた。




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